続・自転車旅行(スペイン・ポルトガル編)5-7

1990年8月14日(2)

アメリカ人のスティーブと文ちゃんと僕の三人で夕食した。キャンドルスタンドにロウソクを灯し、バガセーラで乾杯。バガセーラは薩摩焼酎のような、ポルトガルの強い酒だ。

スティーブは酒は飲まない。髪は短く背がひょろりと高い長身。ずっと前にガンを患って手術してからずっと、マクロバイオティック(自然食)を続けてるというベジタリアンでもある。ガンを患った時にかかった医師が日本人のドクターで、自然食を勧められたとか。

彼はクラシックのピアニストで、こちらで仕事を探して落ち着きたいと話した。小柄で物静か、インテリであり、また放浪家でもある。ベトナム戦の体験も持つ男だ。荷物はズダ袋一つ。まるでインドのサドウ(旅僧)だ。それにハンモックを持っている。テントは無い。その習慣はメキシコを放浪中に身につけたようだ。夜になると木と木の間にハンモックを吊るして眠る。慣れるとベッドよりずっと気持ちが良いと言っていた。

彼の持ち物は、何冊かの本と梅干し、それに僅かな着替え程度。他に毛布が一枚だけというシンプルさだ。ベトナム人のチョウよりまだ質素だった。

荷物を少なくすれば移動が楽だという事は、どんな旅行者も知っている。しかし、荷物を少なくすることは難しい。精神がそこまで至らないと出来ない事なのだ。キャンパーが1000人以上もいるこのモンサントのキャンプ場で、スティーブほど荷物の少ない男はいなかった。

この夜の我々の食事は昆布とジャガイモとニンジンの煮付け、オリーブと葉大根の塩揉み、トマト、レタス、オリーブに酢味噌のドレッシングをかけたサラダ、ご飯、イワシの塩焼、海苔、梅干し、味噌汁、そしてデザートはメロンであった。昆布は大西洋岸でキャンプ中にビーチで拾って乾燥したもので、日本のよりサイズは小さいが美味である。スティーブはもちろん日本食の大ファンだから大喜びだ。僕らも久々の日本食に感激。これらの材料は北海道の友人がリスボンに送ってくれたもので、感謝の気持でいっぱいだ。

普段は日本食は食べない。ポルトガルではスパイス類が安く容易に手に入るので、カレーなどのインド料理及びパスタやスパゲティーなど、肉料理などが普段の食事である。米がどこでも安く買えるので、ご飯もよく食べている。
今までは特に自然食に興味は無かったが、そろそろ食事を自然食(正食)に切り替える必要を感じる。15年前に、インドから帰って1年くらいベジタリアンの食事を続けたが、その後普通の食生活を続けている。歯も悪くなったし、白髪も増えた。目も耳もあまり調子が良くない。

スティーブはまるでバラモン僧のように生きている。以前はメチャメチャな食生活をしていて、体重も20kg多かったと言っていた。ガンを患ってから、生き方を変えたのだ。彼は毎月400ドルをアメリカ政府から支給されている。「ここに居れば200ドルで1ヶ月やってけるから、貯金もできるよ」と彼は笑った。

もしかしたら軍人恩給かもしれないと思った。彼も年齢から行くと、ベトナムで酷い目にあった生き残りだ。ベトナムへ行った兵隊には、ベトナムの話を嫌がる人も多い。特にスティーブはそういう性格だ。だからその質問は避けた。彼のズダ袋は、アメリカ兵の使う雑嚢(ざつのう)だった。

彼はいつもキャンプ場のバルの前の広場のベンチに座っている。そこは木陰で、キャンプ場のあらゆる人間が通る所であり、また一番涼しい場所でもある。彼はそこに一日中いる。チェスの腕は相当なものだ。誰かとチェスをしている時もあるし、本を読んでる時もあるし、またボンヤリしている時もある。スティーブは、アンゴラから来たエドワルドと対照的な人物だと思った。

色々な人々がモンサントに来て、そして出てゆく。エドワルドもいつか出てゆくのだろう。彼は日本でレザークラフトを売って金を稼いだら、車を買いたいと言っていた。車があれば自分のアトリエ(トレーラーハウス)を引っ張ってどこへでも行けるからだ。

彼は貧乏なので、結局僕は用済みになった自転車を2万エスクードで売るのを諦め、彼のギターと交換した。そしてまたギターを弾き始めた。一文無しになっても、このギターが身を助けるだろう。

cycleNext5-7


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