続・自転車旅行(スペイン・ポルトガル編)6-7

1990年9月3日(モンサント、ポルトガルよさようなら)

こんなに長く居ようとは、ポルトガルに来た頃、僕も文ちゃんも思ってもいなかった。

ビザの切れるまでの3ヶ月を、リスボンの港町のムード漂う横町のペンションで暮らした。その頃、イスラエルのモシャビ(キブツと同様の組織)で働いたという日本人に会って、我々もモシャビで働いて金を貯め、ついでにイスラエルを見たいと考えていた。しかし、モシャビの仕事が忙しくなって人を募るのは10月からだという事、また夏の間は暑くて農作業がきついという事なので、イスラエルには9月の末頃に行く事にし、それまでポルトガルでぶらぶらしている事に決めたのだった。

ビザを3ケ月延ばす為、6月の末にスペインに出て7月の中旬に再びポルトガルに入国した。

9月に入って中東戦争が始まり、とてもイスラエルどころの話じゃなくなってきた。危険なのでイスラエルに行くのは止め、モロッコへの旅を計画した。

しかしその後、北海道の友人からの手紙で、農業をしている父親が事故で入院してしまい、収穫が始まるのに人手が無く困っているという。我々も1年と4ヶ月の間外国を旅して、いささか疲れを覚えていたし、北海道で農業を手伝ってみるのも悪くないと思い始めた。親しい友人が困っているのを助けられるかもしれないという事で、モロッコ及び東南アジアを半年かけて回る計画はあっさり捨てた。

ポルトガルから最も早く、しかも安く帰る方法は調べてみて、ソ連のアエロフロートを利用する事だと分かった。今日はそのアエロフロートでモスクワへ飛ぶ日である。

朝7時に起きてテントを畳んでいると、スティーブが来た。スティーブに要らなくなったテントとスリーピングバッグ1個を上げた。マットレスその他不要なものはジョルジュに上げて、我々は前に旅していた時のように再びリュック一つになった。我々の荷物は他の旅行者の半分から3分の1の量しかない。15㎏以下に抑える事が、身軽に移動する為のバックパッキングのコツである。

ここにやってくるバックパッカーは、ドライヤー、何枚ものバスタオル、馬鹿でかいラジカセ等を平気で持って歩いているが、移動の時はかなりしんどそうだ。我々のリュックサックは小型だが、衣類の他にキャンプ用具、シュラフ、衣料品、地図、コンパスなど必要不可欠なものは全部パッキングしてある。やろうと思えば出来るのだ。問題は心の持ち方でしかない。荷物を見ればその人がどんな旅をしているか大体わかるものだ。

スティーブに見送られてモンサントを出発した。バスで泥棒市場まで行き、そこから歩いて空港へ行った。

空港内は夏のバカンス客でごった返していた。アエロフロートのカウンターはいくら探しても見当たらず慌てた。係員に聞くと、「30分待て、大丈夫」という返事だった。ベンチも無いので、階段に腰を下ろしてミカンを食べたりしながら待った。40分ぐらい経つと、エアーフランスのカウンターの看板がアエロフロートの看板と取り換えられて、受付員が交代した。そういう事情を知らない僕らは呆れるやらホッとするやら、ポルトガルは最後の最後まで面倒くさい国だ。

団体客がほとんどみんな山のような荷物を抱え込んでおり、彼らに比べると我々はまるで手ぶら同然だった。自分達の番が来て、係員に切符を見せると「荷物は東京までダイレクトに送るが良いか」と聞かれた。荷物が紛失するケースが多々あるので嫌だというと、「荷物がそれだけなら、機内へ持ち込んでも良い」との返事でホッとした。

飛行機に乗り込んでから座席の下にリュックとギターを押し込んで一段落した。

ゴーと唸りながら滑走路を突っ走って、フワッと機体は空中に浮いた。これでポルトガルともお別れだ。

「さよならリスボンの街よ」

6ヶ月住んだ街は早くも眼下に広がり、そして消えた。

cycleNext6-7

(終わり)


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