ふたつの旅 2

2-1冬のウィーンからヒッチハイクでローマまで行き、そのあと汽車でシシリーへ行った。ここは初夏の陽気だった。汽車の中でジョン・ドーニアというシシリーの学生と知り合い(彼は英語ができた)、彼の住むパレルモの家に招かれ、歓迎された。ジョンの友人のパーティーに呼ばれたり、ドライブに連れて行ってもらったり、それは今も忘れ難い思い出になっている。もし行けるならまた行ってみたい!彼に会いたい!

2-2-vertその後ドイツ、フランスを旅し、スペインのマドリッドに行った。そこで食事付の下宿を借りた。旅のアメリカ人がその下宿を教えてくれたのだ。そこのマダムはとても料理の上手な人で、毎日素晴らしい家庭料理をご馳走になった。そこは離れ難かったが、私はフラメンコの故郷であるスペイン南部のアンダルシアに行く事にし、出発した。

コルドバでは民宿に泊まり、本格的なジプシーのフラメンコ・ギターを習った。学生の時、フラメンコ・ギター同好会に入り一通り弾けるようにはなっていた。しかし本場で、今までやって来たものはなんだったのかと思った。本場のフラメンコには土と血と汗の匂いがあった。私のフラメンコは造花みたいなものでしかなかった。私はここで本当のフラメンコに出会い、それを吸収した。ジプシーとも友達になった。

2-3いつしか夏が来て、私と妻はスペインを離れ、英国の首都ロンドンに行った。ロンドン郊外のイーリング・コモンという静かな住宅地に貸間を見つけ、そこで生活を始めた。同時に英会話も学び始めた。貯金は目減りするばかりなので、妻の照子は日本人レストランにウェイトレスの職を見つけ、働き始めた。私は私で、チューブ(地下鉄)の通路でフラメンコ・ギターを弾いてお金を稼いだ。

私達の家主はオハラさん一家で、ハンガリー人だった。奥さんと娘さんと主人との3人暮らしで、その家の空いている部屋を借りていた。10畳くらいの綺麗な部屋で、片隅には小さなキッチンがあり、ベッド、机、タンスがあり、キッチンの引出しには食器、皿、カップ、フライパン、鍋も用意してあり、鍋が4つ置けるレンジにはオーブンもついていた。大きな暖炉もあった。そのうちオハラ一家とも親しくなり、週末にはよく夕食に呼ばれた。私は時々、すき焼きや親子丼、天ぷらなどを作り喜ばれた。


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