ふたつの旅 3

次の夏に妻は日本へ帰った(1975年)。喧嘩をしたのではない。彼女は虫に弱く、蚊に食われても腫れる性質だった。たまたまモロッコからロンドンに帰ってきた女友達が、ダニに食われてかなり酷い有様になってるのを見て、私と一緒にアフリカへ行くのを彼女は諦めたのだ。

3-1私はその年の9月、予定を変更しインドを目指してロンドンを出発した(ガイドブック無し、地図は教科用の高等地図を使用)。それも飛行機ではなく、陸路シルクロードを行くかなりハードな旅であった。

ギリシャのアテネのユースホステルで早速ダニに食われて片腕がボコボコに腫れた。このダニはベッドの裏に潜んでおり、夜中に這い出してきて血を吸う。非常に痒い。英語ではベッドバグと言う。妻は先に帰って正解だった。その後、インドでもネパールでもしばしばやられたが、そのうち腫れなくなった。

3-2コースはロンドン→アテネ(ギリシャ)→イスタンブール(トルコ)→テヘラン(イラン)→ダマスカス(シリア)。ここからイラクのバグダッドに向かうが、戦争中でビザが取れず諦めてテヘランに戻った。ロンドンからアテネまで飛行機、アテネ→テヘランまで汽車、ボスポラス海峡は船。

テヘラン→カブール(アフガニスタン)→カイバル峠(ここは昔から山賊がよく出るので有名)→ラホール(パキスタン)→アムリッツァー(パキスタンとインドの国境で頭にターバンを巻くシーク教徒の街)→デリー→ベナレス(ヒンドゥー教最大の聖地)→アグラ(タジ・マハールの宮殿で知られる)→カルカッタ。インドは汽車を利用した。カルカッタに到着したのは10月の末か11月の初め頃だった。体重は10kg減った。原因不明の熱に悩まされた。

3-3カルカッタ→ラクソール(ネパールとインドの国境)→カトマンズ(ネパールの首都)。国境越えはオンボロバス。カトマンズに12月中旬まで滞在、その間にヒマラヤトレッキング。ツリヅリバザールからランタンリルンまで往復。氷河地帯5000メートルまで登る。ゴラ・タベラ、カトマンズでモモ(餃子)、ツクパ(ラーメン)、バグステーキ(水牛のステーキ)などのチベット料理を毎日食べ、すっかり体力を回復することが出来た。カトマンズにはチベット人社会もあった。この後、インドのボンベイから船でアフリカ(モンバサ)に行く計画だったので、再びインドに戻った。

カトマンズ→ルンビニ(釈迦の聖地)→ノナワラ(国境)→ラクノウ(インド北部の街。ここでたった一人のクリスマスを迎える)→聖地ベナレス(ここで正月を迎えた)。ベナレスが気に入り長期滞在した。ここで町はずれの農家の離れを借りて生活を始めた。一日1ドル(360円)で充分暮せた。約1年近く滞在。チャニ・ラル・パンディアという先生(お寺の坊さん)についてインドの楽器シタールを習う。1年近くいる間に自然とインドカレーの料理法を覚えた。

3-4次の年の正月にベナレスを出発してボンベイまで汽車で旅した。ボンベイでアフリカ行の船を探した。船会社に行くと、船はもう出た後で、次の便は3月と言うのでがっかりした。3月まで待つ事に決め、その間を利用してゴアに行った。ヤシの木の茂る美しいビーチだった。今ではリゾートだが、当時は漁師の村しかなかった。ヒッピー達の楽園でもあった。

3月か2月の末頃にボンベイに戻り船を待つ。アフリカ行の船を待つ間に、運悪く肝炎(A型)にかかり、入院生活をする羽目に…。その間にアフリカ行の船は出てしまった。アフリカ行は諦めた。

4月の終わり頃に一応治り、日本へ帰る事に決めた。日本へ帰って静養し元気になる事。世界一周は成らなかったけど、残りは後でやる事に決めた。私は妻の実家に1ヶ月ほど暮らし、元気回復。


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