自転車旅行(スペイン・ポルトガル編)1-2

1990年3月9日
Y・Hは安くて(500ペセタ)、設備も良くて快適だったが規則で3日以上は泊まれず、昨夜はマドリのアントン・マーチン駅のちかくのペンション(1人1200ペセタ)に泊まった。

朝、ペンションをあとにして近くの自転車店「カルメラ」に行った。自転車はいつでも走れるように整備されていた。サイドバッグにリュックサックの中身を移し、出発の準備はなった。店の人に送られてアトーチャ駅方向へ向かってペダルをこぐ。

妻は何年も自転車に乗った事がなく、こぎかたを忘れたと騒ぎ始め先が思いやられた。ハンドルがフラつき思うように走れぬというので、も一度カルメラに引き返し前輪部にもサドルバッグを両側に取り付け、うしろの荷を半分前に移した。これでバランスが良くなり、彼女もフラつかなくなった。

経費節減のためサイドバッグは4個(1台につき)必要なとこを2個しか取り付けなかったのが失敗だった。自転車屋の裏通りでテスト、彼女は走る練習をした。

これからヨーロッパを旅しようというのに、大丈夫かとさすがの僕もしんぱいになってしまった。

アトーチャの広い道路は車の洪水だった。そのはじっこを僕らはおそるおそるペダルをこいで行った。(自転車のギヤがロー、セカンド、トップの三段になっているがその扱い方にも慣れてないので、歯車がガリガリ鳴って壊れるのではないかと思った)

少し行くとN―401、TOLEDOという大きな標識が見えた。しかしそれは高速道路のようで走っているのは車ばかりだった。自転車で高速道路を走っても良いかどうか分からんので、たまたま店の前で我々を物珍しそうに見ていたオジさんに聞いた。

彼はペラペラとスペイン語で教えてくれたがさっぱり分からぬ。しかし手振り身振りでゴー・ストレイツといわんとしているのだと分かり、アディオスと別れの言葉を交わしたら、オジさんは「気を付けて行くんだよ」という様な事を言いニコリと笑った。僕らはおそるおそる高速道路に入って行った。

自転車をキコキコこいでいるのは僕らくらいのものだった。走行禁止なら途中で注意を受けるだろう。そしたら他の道を行けばよいと考えそのまま進んで行った。東京の中央高速を自転車で走っているようなものだった。恐怖のために髪は逆立ち、ハンドルを握る手は汗でヌルヌルしてきた。

「神よ我々を無事行かせたまえ」と祈りつつ必死でペダルを踏み続けた。なんとか死なずに地獄の一時間が過ぎた。

マドリッド郊外に出ると少し車も減り気分も良くなった。静かな公園を見つけ自転車を中に乗り入れ、草(芝生)の上で遅めの昼食、サラミソーセージ(スペインのは非常に美味く、そして安い。100グラム100円で買える)、オリーブ(100グラム50円)、パン(大きなバゲット、1本50円)、飲み物は1.5リットルのプラスチックボトル入りのサイダー(150円)、このボトルはその後ずっと水筒として使うことになる。

N―401は幹線道路で中央分離帯があり、片側三車線一番外側一車線はサイクリング用で僕らは大助かりである。ヨーロッパはどこの国でもサイクリストが多く、サイクリングが非常に盛んであり設備もいき届いている。

夕方、大きな公園にさしかかり、公園内に自転車を乗り入れテントを張った。

周囲には人家も無く人影も全くなかった。おそらく、週末にマドリッドあたりから来るマイカー族が利用するものと思われる。水だと思って買ったボトルの中身がサイダーだったのでコーヒーは諦めねばならなかった。

ハムをはさんだサンドイッチとサイダーとセロリが夕食のメニューであった。夕食を終えると周囲も暗くなり、ランプを持たない僕らは寝るしかなかった。それでなくても昼間の疲れで二人ともヘトヘト、スリーピング・バッグにもぐりこんですぐにドロのように眠ってしまった。

cycle1-2

 


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