ふたつの旅 5

1989年5月、私は彼女を連れ再び世界一周の旅に出た。コースは

東京―飛行機→香港―川船→広州(中国)―河船→梧州―河船→南寧(ベトナムとの国境)―バス・汽車(天安門事件)→昆明(中国南部の大きな街)

中国に入国後1週間目に天安門事件が発生し、旅は逃避的なものに変わった。

5-1昆明―汽車→成都―汽車→ハミ―汽車(ゴビ砂漠)→ウルムチ(中国南部)→アルタイ・天山山脈イーニン

昔はシルクロードの街としてハミ、ウルムチ、トルファン、イーニン、カシュガルは大変に栄えていた所だった。この辺の土地は西域と呼ばれ、かつては三蔵法師やアレキサンダー大王が旅した所だ。「孫悟空」の舞台でもある。イーニンは西の果ての街で、ロシアとの国境付近にある。イーニンまで来るとほとんど目の青い、ウイグル語というトルコ語系の言葉を喋るウイグル族ばかり。漢人(中国人)はたまに見かける程度になった。

5-3私と妻はイーニンからオンボロバスに乗り、天山山脈の谷間を抜け、タクラマカン砂漠の街クーチョーを経て天山南路を南へ旅して、ついにウイグルの都カシュガルに到着した。この町は風が無い時は霧がかかる。非常に細かい砂の粒子が空中に漂い、霧がかかったように、全てが幻想的に見えるのだ。この町に2週間居て、私は毎日せっせとスケッチをして歩いた。天安門事件により内乱が生じるおそれが続いていた。

5-2旅の間も、私は常にスケッチブックと水彩絵の具、それと愛用のギターを持ち歩く。他に大切なのは日記帳だ。旅の荷物は、高校生が通学に使用している様な小さなデイパック1個だけである。衣類や日用品はバザールで必要に応じて買い、必要がなくなれば貧しい人や乞食にあげる事にしている。

ウイグルオンボロバス→クンジュラブ峠(ヒマラヤのカラコルム山脈にある峠 5500m)→国境スストフンザ王国

フンザはパキスタン北部にあり、ここは「風の谷のナウシカ」の舞台になった所ではないかと私は思った。高度4000メートルの小さな村で、王国というイメージはない。100歳以上の人がたくさんいる。しかも現役で働いているのだ!私もフミコもここが好きになった。ここに2ヶ月近く滞在した。

フンザ―車→ギルギット(K2、ナンガパルバット登山の基地だ)

5-4

ギルギットからパキスタンの都イスラマバードに飛ぶ小型のプロペラ機があった。チケットを買いに行ったら、売り切れで断られた。もし乗っていたら、私も彼女もこの世にはいなかった。この飛行機はヒマラヤの山中でバラバラになって発見された。

仕方なく乗合いの自動車(トヨタのライトバン)に乗り、山賊で有名なインダス川の険しい谷を旅し、イスラマバードに行った。運が悪いと途中でパキスタンゲリラ(コダイツと呼ばれている)につかまり、身ぐるみを剥がされるのだ。車は一晩中悪路を走り続け、次の朝、無事にイスラマバードに辿り着いた。

イスラマバードの日中の気温は40度を超え、二人ともぶっ倒れそうだった。

イスラマバード―バス→ラホール―バス→アムリツァー 熱い!暑い!

シーク族の土地アムリッツアーはかつて一度来ており(第1回世界旅行)、懐かしかった。アムリッツアーは街の中でゲリラと政府軍の市街戦があったばかりでかなりやばかった。

アムリツァー―バス→デリー―バス→ダラムサラ

ダラムサラはヒマラヤの中腹にある町で夏でも涼しい。冬は雪の降る日もある。ここにはチベット民族の指導者であるダライ・ラマが住んでいる。チベットのラマ寺もあり、ラマ僧もいる。インドでありながら、チベット人がたくさん住んでいるのでここはチベット文化圏だ。私がダラムサラに滞在中、ダライ・ラマはノーベル平和賞を受けたので、もうお祭り騒ぎであった。


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