ふたつの旅 7

1990年3月、私達はダラムサラの家を引き払い、デリーから飛行機(格安航空券。片道3万円くらいだった)でスペインのマドリッドに出発した。

7-1そしてマドリッドのユースに泊まり、自転車旅行の準備をした。自転車2台、サドルバッグ、工具、パンク修理用具、調理炊事用具、テント、寝袋などのキャンプ用具、それらを揃えるのに1週間もかかった。それでも、マドリッドをどうにかこうにか出発した。

私たちはスペインの南部、アンダルシアに向かった。途中でスケッチしたり、お茶の時間、炊事、昼寝、二人とものんびり型なので、1日に進む距離は50km程度だった。それにお金を節約しなければならなかったので、自転車はママチャリ、3段ギヤが付いてるけど頼りないものだった。登る時は大変だけど、下る時はこがなくていいので楽だ。うるさい音もしない。そこが自転車の良い所だと思う。

7-2セビリヤまで行き、そこから西へ進んだ。ウエルバから更にまた西へ進み、やがてポルトガルとの国境アヤモンテに達した。船で大きな河を渡るとポルトガルだった。

地中海の海岸に沿って西へ西へと進み、最後にヨーロッパの西の端(イベリヤ半島西端)の、ポルトガル人が文明世界の果てと呼んだビセンテ岬に着いた。岬は切り立った断崖で風が強く、自転車ごと飛ばされそうだった。岬には赤い灯台があった。日本を出発してここに来るまで、1年近い月日が流れていた。かつてこの地に、航海王子エンリケの航海大学があったという。この先にあるのはコロンブスが発見したアメリカ大陸だけだ。ディアス、カブラル、マジェラン、バスコ・ダ・ガマにアルベルケルケ、みんなリスボンの港を後にして、世界の未知の海へと出て行ったのだ。

ビセンテ岬の町サグレスから大西洋の海岸に沿って北に進んだ。大きなテージョ河の河口の町セトバルに着いた。川の対岸に大きな街が見えた。街を見下ろす山の上に城も見えた。リスボンである。私達は河を船で渡り、ついにリスボンの街に到着した。とても古風で美しい都であった。マドリッドを出発して2ヶ月かかった事になる。その間、民宿に泊まったのは3回だけで、他は全てテントに泊まった。

港に着いたが、今夜の宿をどこにするか迷った。まさか街の中でキャンプする訳にもいかない。でも、ガイドブックも何の情報も持ってなかった。そこで、地面の上にボールペンを立て、それが倒れた方向へ行く事にした。そちらの方向に向かって、自転車を押して歩いてゆくと教会があった。さらに進むと横町に入った。そして見上げると、ペンション・リオという看板があった。入口の戸を叩くと、50くらいのしっかり者という感じのおばさんが出てきた。

7-3「ティエーネ・ウステ・ウナ・ハビタシオン・ポルファボール?」部屋はありますか?と私はスペイン語で聞いた。それはうまく通じた。安くて便利な場所なので、そこに泊まる事にした。久しぶりに熱いシャワーを浴び、さっぱりした。自転車の荷物を全部部屋に運び込んだ。外に置いとくと盗まれると言うので、自転車は家の中の階段の下に置いた。結局この宿に2ヶ月くらい滞在した。

裏にあるメルカード(市場)で野菜や肉、食品を買い、部屋の中で自炊していた。ポルトガルは食糧品とかワインは安いので助かった。リスボンでは、私は絵を、フミちゃんはアクセサリーを路上で観光客に売って生活費を稼いだ。

その年の夏の終わりにポルトガルでの生活を切り上げて、私達は日本に帰った。日本は1年半ぶり、まだ東京は暑かった。


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