アフリカの旅 3-1

1998年5月22日

夜明けが待ち遠しかった。

朝の光が届かないうちに突然コーランの詠唱が始まった。回教徒が多いのでどこの街にもモスクがあり、朝と夕には必ずコーランが聞こえてくる。極めて抽象的な響きで、私は好きだ。無限、終わりのない世界を想像してしまう。中近東やアラブを旅していた若い頃を思い出した。

突然コーランが終わり、再び静けさが来た。前よりもずっと静かに感じられる。

明るくなると、人々の声や車の音が再び賑やかになってきた。また一日が始まる。私は昨日のうちに宿代は払ってあったので、寝ぼけているクロークの男にビル(領収書)を見せ、パスポートを返してもらって表へ飛び出した。

ホテルの位置とマタトゥ乗場の位置はすでに頭に入れてある。5分くらいですぐにマタトゥ乗場に着いた。私はそこにいた人々の中から正直そうな夫婦を見つけて、「キスムに行くプジョーに乗りたい」と言った。彼らはすぐにそのプジョーに連れて行ってくれた。礼を言ってすぐにプジョーに乗り込んだ。プジョーに乗る前に性質の悪そうな運助タクシーの運ちゃんが声をかけてきたが、相手にしなかった。グズグズしているとジミーやその仲間に見つかって厄介な事になる。早く出発すればいいのに、運ちゃんはもう一人客を乗せる為に頑張っている。5分くらいでもう一人客が加わって、プジョーは朝靄を突いてナクルの町を離れた。私はホッとして胸を撫で下ろした。

外人旅行者で、ナクルまで来て湖のフラミンゴを見ないで去ってしまう奴は滅多にいないだろう。アフリカへやってくる旅行者はほとんどサファリが目的だ。キリンやシマウマやゾウのような野生動物やナクル湖のフラミンゴを見にやってくるのだ。私はそうじゃない。アフリカの町や村に興味があった。人々の生活、アフリカ人の心を知りたいのだ。アフリカを旅して、動物や自然だけを見て帰るのはアフリカ人を無視しているようなものだ。私は今度の旅行の3/4はアフリカ人に、残りの1/4をサファリに費やす予定で旅をしている。自然もやはりアフリカを知る上では大切だし、私とて興味は大きいのだ。だがそれ以上に、彼らの明るさ、人の好さ、ポレポレ、素朴さ、温かさ、優しさに心を惹かれる。ジミーのような人間は好きじゃないが、それでも彼とて生きる為に人を騙したりポン引きをやったり、ナクル湖案内所の客引きをやっているのだ。

アフリカ人の生活は貧しく厳しい。我々日本人には想像もつかない程だ。戦争を知ってる世代には想像つくだろうが、それも遠い過去の事でしかない。だから私は、ジミーやサミーのような男を憎んだり蔑んだりする気にはなれない。

助手席の客は、アフリカ人には珍しくスーツをびしっと決め、アタッシュケースを抱えていた。私は他の客にもジャンボと言い、彼にもジャンボと挨拶した。男は上手な英語で色々と話しかけてきた。ロンドンの話をした。私も若い時にロンドンに住んだ事があり、懐かしかった。彼はロンドンの大使館で仕事をしていたようで、今はケニアに帰って役所に勤めていると言った。いわばアフリカ人のエリートであった。プジョーに乗る客はお金に余裕のある人達なのだ。でなければ急用のある人だ。

ケリチョウに近づく頃には見渡す限りの茶畑が広がり、山の斜面が浅緑に輝いて美しく、心の和む風景が展開した。茶畑の中でたくさんの人達が茶摘みの労働をしていた。畑の所々には労働者の住宅や団地が見られた。ケリチョウは世界に名だたる銘茶「ブルックボンド」の生産地なのだ。そこで降りても良かったが、私はそのままビクトリア湖岸の町キスムまで行く事にした。

昼前にキスムに着いた。プジョーの運転手は客を全部降ろしてから、「どこのホテルに行くんだ。200シリング出してくれればホテルまで乗せてくがどうだ」と持ち掛けてきた。私は地図を持ってたし、「地球の歩き方」という立派なガイドブックを持っているから目的のホテルまで歩いて探しながら行ける自信はあった。しかし非常に疲れていたので、200シリング(50~100が正当な値段)を払ってホテルまで行ってもらった。

ニュー・ビクトリア・ホテルの一階はレストランだった。私は一つのテーブルに陣取り、リュックを下に下し、額の汗をタオルで拭った。叩くと体中から埃が出てきそうなぐらい、埃と汗にまみれていた。

そこはまさにオアシスだった。客達は物珍しげに私を見ていた。私は冷たいコーラを飲んで喉の渇きを癒しながら、料理の来るのを待った。ワリ(ライス)とフライドチキンにマッサラソースをたっぷり掛けた料理がやがて運ばれてきた。この店はインド人が経営していた。料理は、アフリカに来て味わった中で一番美味であった。私は感心しながら料理を平らげ、ティーを飲み、タバコを吸って通りを眺めた。場所は悪くないが、町の中心部でうるさくて夜も眠れそうもないので、もっと静かなホテルに行く事にした。ガイドブックで当たってみると、レイクビューホテルというのがあった。なんとなく静かで落ち着けそうな感じがしたので、私はレストランを出て歩き始めた。

最初の角で、立ち話をしていた町の住人にホテルの名前を言い場所を訊ねた。何人かの人達が集ってきてワイワイガヤガヤ喋っていたが、そのうち一人の老人が進み出て、「私が案内しよう。おいで」と言った。その痩せた老黒人は片足が不自由らしく、長い一本の棒にすがる様にして歩き始めた。貧しい生活をしているようだった。私はその後から、彼を追い抜かない様にしてゆっくりと付いていった。

老人はいくつも角を曲がり、町の外れへと私を連れていった。建物が途切れ緑の向こうにビクトリア湖が光って見えた。老人は「ここだよ」と言って、私の手を引いてとある古ぼけたホテルのロビーの中へ連れて行ってくれた。何も無い広いガランとした、しかし割と清潔で明るい感じのロビーだった。キスムはナイロビやナクルに比して標高が低いので少し蒸し暑い。ドアや窓には虫除けの網戸がはめ込まれていた。クロークにはちょっと太めの美人が、不意の東洋人の出現にポカンと口を開けて立っていた。

私は老人に礼を言い、200シリングを上げた。老人は「祝福を」と言って消えた。

3-1

彼女は陽気で良く気の利くマネージャーだった。アンは私の顔を見て「日本人か?」と聞いた。
「そうだ」と言うと、
「ずっと前にいつだっけか、日本人の若者が来た事があったわ」と遠い記憶をまさぐるような目で再び私を見た。アンは私の姉にどことなく似ていた。積極的でエネルギッシュな性格だ。
アンは「何日泊まるの?」と聞いた。
私は「ここが好きになれたらしばらく居たい。でも、そうでなかったら明日か明後日には出発するつもりだ」と言った。
「そう、1泊600シリングだけど、何日も泊まるんなら安くしてやるわよ」と彼女は親切を示した。
「とにかく少し休みたい。疲れた」と言うと、彼女はボーイにスワヒリ語で何かを命じた。

ボーイは私のリュックを持って2階の広い部屋に案内してくれた。机、タンス、水洗トイレの付いたシャワールームがあった。アフリカにしては部屋は小奇麗で清潔だった。窓からはビクトリア湖が見えた。町の中と違って静かだった。建物はアラビア風の造りで、中庭があって広々として、空間が工夫されていた。中流クラスの客が利用するホテルらしかった。しかし湖岸なので、蚊やブヨも街中よりは多かった。

今度の水曜日に忘れずにマラリアの予防薬を1錠飲まねばならない。少し高いが、1週間1錠でOKという薬なのでありがたい。ベッドの上には円錐形の蚊帳が吊るしてあった。寝る時はそれをベッドにカーテンの様に下してその中で寝るのだ。

私はなんだかホッとして、嬉しかった。アンも頼りになる感じだし、「ここにしばらく落ち着くとするか、それもいいな。とにかく疲れた」と独り言を言った。アンの明るい声がよく部屋まで聞こえた。ポルトガルやスペインの下町のおばさんそっくりだ。アンは陽気でよく笑った。その笑い声も聞こえてきた。

服を全部脱いでシャワーを浴びた。驚いた事にシャワーからは湯が出てきた。久しぶりに体を洗い、口笛を吹きながら体を拭いた。下着を新しいのに着替えるとサッパリして気持ちよかった。

私はベッドに体を投げ出した。眠っている間に誰かが部屋に入ってきて盗むかもしれないと思って、パスポート入れはカーテンレールの上に隠した。それから眠った。


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