アフリカの旅 4

1998年5月23日

ボーイが朝食の準備が出来ましたと起こしに来たのは朝の8時頃だった。まだ眠っていたかったが(宿代に朝食が含まれている)、どんな食事が出るのか興味もあったので下の食堂に行ってみた。

With Breakfast(朝食付)は英国の宿屋では一般的なものであり、長い間英国の植民地であったケニヤでも、この習慣が浸透している。大概の宿は朝食が付く。テーブルに布のナプキンと食器類がキチンとセットされていた。テーブルは4つだった。私はそのうちの一つに掛けた。中年のカップルが別のテーブルで食事をしていた。グッドモーニングと挨拶する。カップルも気持ちよく挨拶をしてくれた。

ボーイがティーセットと食事を運んできた。ベーコンとソーセージのフライ、それにパンとバターだ。これも完全に英国式の朝食で恐れ入った。ナイフとフォークで食べる。特に美味くはない。英国式には何も期待はしてないから、さしてガッカリもしなかった。それからは毎朝、まったく同じ朝食が出た。日本ならさしずめ海苔と玉子と味噌汁とご飯というところなのだろう。

今日は水泳に行く約束をしていたのを思い出した。食事の後ロビーに行くと、アンが「朝ごはんどうだった?」と聞いた。私は「うん、悪くなかったよ」と答えておいた。11時頃にジョイがやって来て、2人で先に出かける事になった。アンは後から来るという。ビクトリア湖岸で泳ぐと言ってたので、多少心配だった。あそこにはカバや住血吸虫がいるからだ。ホテルの裏手を湖に向かう。林の中にチラホラと英国風の高級住宅があった。ジャカランダやブーゲンビリアの花が美しかった。木々の間では名も知らぬ小鳥がさえずっていた。

4bジョイはアンと同じカレッジに学び同級生だったと言っていたが、二人はいつも一緒にいる。ジョイは求職中で毎日仕事探しに行ってるけど、今日は休んで皆で水泳に行く事にしたのだ。私より背が高く、物静かでゆっくり歩く。ジョイはアンほど美人ではないが、知的な感じがした。アンの弟も一緒に行く事になってたが、彼は用事が出来て来られなかった。

私達が行ったのは湖岸のホテルのプールだった。湖で泳ぐものとばかり思っていた私はびっくりしたが、同時にホッとした。

ジョイは全く泳げず、私は泳ぎ方を教えた。まったく知らないものを教えるのは戸惑う事が多い。

それにしても、ここはリゾートホテルという感じで客も上流の黒人が占めている。白人が一人だけいた。彼は一人で来ているらしく、ほとんど泳がずプールサイドでひたすら日光浴をしていた。

そのうち、仕事を済ませたアンが来た。アンは結構泳げるが、潜れないとこぼしていた。脂肪の付き過ぎかなと思ったが、泳ぎ方に問題があるようだ。平泳ぎはかなりいい線まで行ってるが、完全ではなかった。悪い所を直し、私の泳ぎ方をプールの上から見させた。彼女は勘が良く、その後かなりうまく泳げるようになった。潜水もそのうち出来るようになるだろう。

それにしてもアフリカ人は泳げない人が圧倒的に多い。私がスイスイ泳ぐのを見て、アンもジョイも驚いていた。25mのプールを端まで潜ったままで泳いだ時は、私が溺れたと思って騒いでいた程だ。

プールサイドで食事をした。3人分を私が払った。全部で1140シリング(2300円)だった。日本の1/10くらいの物価ではないかと思う。

夕方に私達はレイクビューホテルへ戻った。私は疲れていたのですぐに部屋に引き上げ眠った。止まっていた風が吹き始め、網戸から部屋に入ってきていくらか涼しくなった。私はそのまま眠り、起きると夜の7時頃だった。アンとジョイはもうとっくに家に帰って、サンボリがクローク係をやっていた。

サンボリは年上のボーイで、5時にアンが帰った後は彼がホテルを管理する。入口にはオーバーコートを着たガードマンが立ち、近所の人達とお喋りしている。私はタバコを出して彼らに勧め、入口の所に座って通りを眺めながら涼んだ。時々、蚊に刺された。日本の夏が懐かしく思えた。

番人達は現地のルオー語を喋っていた。ここはルオー族の土地だと言う。ケニヤには48の部族がいるそうで、私には見分けはつかない。混血も進んでいるみたいではあるが、同部族で結婚するのが普通だ。

ケニヤは美男美女の国かもしれない。顔立ちの整った者が多い。私のアフリカに対する先入観は、実にいい加減なものであったとつくづく思う。町の中では半分か、それ以上の人が英語を喋れる。ピジン・イングリッシュなので分かりづらいが、それでもそのおかげで言葉では不自由していない。英語くらいは喋れた方が旅はスムースだ。

4a私は夕食にナターシャレストランまで歩いて行った。鍋の中を見せてもらい、アフリカの変わった料理を色々と試みた。カランガという、肉とジャガイモをトマトソースで煮込んだ料理を食べた。これはワリ(ごはん)によく合って食べやすい。ミュージックビデオを見ながら一人で食事するのも何か侘しい感じがした。金はかからないが、何か味気ない。

それにしても、昼間プールサイドで例の白人が私に「気を付けた方がいい。彼等を信用するな」と言った言葉が気にかかった。彼はイギリス人で職業はデザイナー。年の頃は30前位だった。政府の仕事でキスムに滞在していると言っていた。

「ムザングと言う言葉を君、知ってるかね?白人という意味だよ。白人イコール金持ち。彼等は白人に払わせる。君も、金持ち日本人だから気を付けろよ。いつも財布の中の金がどれくらいあるかチェックしないといけないよ。彼等とまともに付き合ってると大変だよ。お金がどんどん消える。気を付けろ!」

彼はアン達が泳いでる時に、私にそう忠告してくれたのだった。そしてまた私が食事に出かける時に、ロビーにいた黒人のスーツを着た紳士が「彼女らは良くない。気をつけなさい。女どもは時々君の金を盗む」と私に忠告してくれたのだった。二人の男からそう忠告されて、まだアフリカに来たばかりで西も東も分からない、頼れる友もいない私の心の中は穏やかではなかった。女どもというのはアンとジョイの事なのか、それともホテルの周辺のバー等にたむろしている娼婦の事なのか。私は聞き漏らしてしまったので、どちらか断定できなかった。

アンは私がホテルに初めてやって来た時に、色々な事を聞いていた。その中で気にかかかる質問が一つあった。「あなた幾ら持ってるの。50万、それとも100万シリング?」と彼女は、疲れて頭のボンヤリしている私にそう質問したのだ。普通、そんな事まで聞かない。私は「知らんよ。俺は金持ちじゃない。貧乏人だよ」と答えた。「そんな事ないでしょ。あんたは日本人だし金持ちよ」とアンは笑った。

私はその時の事を思い出し、毎日新聞を賑わしている誘拐事件を思い浮かべた。金持ちの黒人や旅行者も狙われている。どこかへ連れ出されて金品を奪われ、殺されてしまう。アンがそういうギャング達と通じてないという保証はどこにも無い。しかし、馬鹿げた考えだと私は思った。私は多少ノイローゼ気味なのではないかと思った。

私はレストランから夜道をホテルに戻り、ベッドに入ってしばらく考えた。しかしこのホテル・レイクビューの周辺の、何となく懐かしさを覚える横町的なムードに私の絵心が夢中になり、掻き立てられるのはどうしようもなかった。ここに腰を据えて絵を描くか、また逃げてどこかへ行くか、アンを信じられれば全ては解決するのに…わからなかった私は再び孤独を感じ、そして眠った。


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