アフリカの旅 9

1998年5月28日

重苦しい朝が来た。階段で打った所がまだズキズキしていた。

ホテルのレストランでの朝食が宿代に入っていたが、食べに行けなかった。私はレセプションに電話して朝食を部屋まで運んでもらった。ボーイにはチップを上げた。海外旅行保険にも入ってない。この先どうなるか分からないので、ホテルのスタッフとの人間関係が大切になる。

チーフマネージャー(病院まで連れて行ってくれた人)が心配して部屋に見舞いに来てくれた。彼は「大変申し訳ない。我々に出来る事は何でもします」と言った。彼が昨夜寝たのは4時、そして7時からの勤務、ほとんど寝てない筈だ。私は感謝の気持ちとして、彼に1000シリング(2000円、現地では2万円くらいの価値がある)あげた。

彼は信心の厚いクリスチャンで真面目な性格、頭の回転が良く、キビキビと行動する男で頼りになりそうだった。この後、私は1週間あまりをこのホテルで静養する事になったのだが、その間も彼は私の面倒をよく見てくれた。

私は食えるから何とかなるだろうと思った。食欲が無くなったら…その時はその時だ…

朝食を食べてから鎮痛剤と消炎剤、それと万一の感染症に備えて抗生剤を飲んだ。今日はマラリアの薬を飲まねばならない日だが、一緒に飲んでも良いかどうか分からなかった。一日延ばして、よく調べてから明日飲む事にした。注射と薬が効いたのか、午後からは少し歩けるようになった。

今回の旅は今までと違って、資金的に多少余裕があった。しかし、あれば良い事もあるが、悪い事もあるという事を次の事で知る事になる。

私は街の中を少し歩いて、近くのラ・ペール・インのテラスでティーを飲んだ。いつも持ち歩いてる旅のノートを取り出し、手記を書いて過ごした。そこに30分くらいいて、ホテルに戻った。そして休んだ。夜の8時頃に階下のレストランに夕食に行った。

私がテーブルに着くとしばらくして、私の隣のテーブルに3人の娘が来て座った。彼女らは注文を頼むわけでもなく、しきりに私の方を見た。何となく目が怪しい。私も少しはこの国の事情が分かって来たので、マラヤ(娼婦)だろうと思った。しかしながら、この高級ホテルには彼女らは入って来れないはずだが変だなと私は思った。そのうち、中の一人が私のテーブルに来て「座っていいか?」と言うので私はびっくりした。私は今は腰の怪我でそれどころでなく、一刻も早く食事を済ませ部屋に戻って休みたかった。私は、「疲れているからまた今度」と言って断った。彼女は諦めたらしく、自分の席に戻った。

私はステーキとチップス(フライドポテト)で食事した。ボーイ達は彼女らを無視しているのか彼女らは何も食べず、何も飲まず、所在なげに座っていた。この高級ホテルでは肩身が狭いらしい。値段も高すぎる。難民としてソマリアやルワンダから流れ込んでくる者も多い。碌な仕事は無く、女はマラヤ、男は荷車引きでもやって糊口をしのぐしかないのだ。

私はなんだか気の毒になってしまい、一番年上の女性に目で合図した。彼女が私のテーブルに来て前に座った。私は一瞬、馬鹿な事をしてしまったと後悔したが、気を付けてれば問題は無いだろうと踏んだ。それ以上に私は人間に対する興味があった。町をぶらついてる時にこの3人組を見たような気がした。「何か食べるか?」と聞くと、ビールが飲みたいと言うのでボーイを呼んで彼女らにビールを注文した。お腹も空いてるらしかったので「食べていいよ」と言うと、チップスが食べたいと言うのでボーイに注文した。ずいぶん控えめな注文(一番安いメニュー)だった。

9私は色々な事を彼女に聞いた。彼女はソマリアから来たのだった。子供が一人いるけど、とても生活出来ないのでケニヤに来たと言う。いつもはナクルで稼いでいて、ナイバシャは初めて来たようだ。商売というのはマラヤの事かと聞くと、笑ってそうだと言った。年齢は26、名前はハリマ。エチオピア人の血が混じっているのか鼻は尖っており、目鼻立ちは整っている。初めは突っ張ってたが、打ち解けてきて優しい顔になった。

彼女はナイフとフォークの使い方を知らなかった。私は「手で食べればいいんだ。手は後で紙ナプキンで拭けば良いんだ」と教えてやった。私には、アフリカに蔓延している英国式はこの国に合わないし、馬鹿げているようにしか思えなかった。エリートがエリートである為の習慣に他ならない。

26と言えばこの国では既に姥桜だ。彼女は30歳くらいに見えた。黒人は年より老けて見える。あのツッパリ姉ちゃんの顔と、優しい少し物悲しい顔と、どっちが本当の顔だろうかと私は考えた。あの英国人や黒人紳士が「ゼイ アー ベリーバッド」と忠告してくれた、そのマラヤが目の前に座っていた。確かに汚れた女かも知れない。しかし、誰もマラヤになりたくてマラヤになる女はいない。目の前に座っているのは、一人の人間だった。私はなんだか悲しくなってしまった。

食事を終え私が立ち去ろうとすると、彼女は「ルームナンバーは?」と聞いてきた。私はそれどころじゃなく、自分の怪我の事を正直に彼女に話した。彼女は同情してくれ、商売を諦めた。「子供に何か買ってやれよ」と、私は彼女に1000シリングを渡した。「あなたは良い人ね。神の祝福を」と彼女は言った。

私は部屋に戻り、中上健次の短編集を読んだ。「不良性のない時代」を読みながら、アフリカにはゴロゴロ転がってるよと言いたかった。ボルタレンが切れてくると、本当の痛さが分かった。私は再び鎮痛剤を飲んだ。ドアの内鍵がしっかり掛かっているかどうか確かめてから、モスキートネットの中で眠った。


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