アフリカの旅 13

1998年6月2日

ホテルのマネージャーのジョルジュが「今日は家に帰るから一緒に連れて行ってあげる」と言うので、付いて行く事にした。

ホテルを出て町外れまで行くと、異常な感じで人だかりが出来ていた。「あれは何ですか?」とジョルジュに聞くと、「スリが捕まったんだ。皆はあいつを殺すよ」と言った。

殺す!!と聞いて私の心は穏やかではなかった。「たかが金を盗んだくらいで殺すのか?」と聞くと、ジョルジュは「イエス、ピープル キル ヒム」と真顔で言った。私は二の句が継げなかった。スリはまだ若い男で、皆から頭を小突かれ殴られていた。

私はリンチを正当であるとは思わない。しかし、そうでもしなければこの社会ではスリや泥棒、強盗は蔓延る一方だ。そして、それは部族社会の伝統的な掟でもある。安っぽいヒューマニズムを振りかざしても焼け石に水だ。私は「本当に殺すのか?」と聞くとジョルジュは「皆は男をポリスステーションに連れてゆくことに決めた」と言った。私はなぜかホッとした。ポリスは男を殴るに違いないが、殺す事まではしないと思ったからだ。

スリにしても弱者に過ぎない。弱者が弱者を殺してどうなるのだと私は思う。しかし、彼等は不満のはけ口をリンチという手段に求めるのだ。「今の大統領のモイを殺したい」と言っていた、あのキクユ族のインテリ青年の事をチラッと思った。

私とジョルジュは歩き続けた。市場は人と物で溢れごった返していた。その中を通り抜けて行った。さらに行くと職人達の住む一角に出た。ベッドや箪笥を作っている大工がいた。自転車の修理をしている男、革細工をしている男、鉄器を作っている男、色んな職人達が一日の生業に励んでいた。ボロを着て杖をついた老人や、山羊や鶏がいた。ドラム缶を積んだ荷馬車が通り過ぎた。

ジョルジュが「飲料水を運んでるんだ」と説明してくれた。アフリカでは飲料水は貴重だ。私のホテルではいくらでも出るが、ここではそうじゃない。水は共同の井戸から汲まれて、女が運ぶ。

人々はムザング(白人の事)!と言い、振り返って私を見ていた。こんな所に来る白人はいない。

だいぶ歩いた。靴はもう真っ白だ。テラ・ロッサ(赤い土)の上を私のサファリシューズが踏みつけてゆく。

13人々はギリギリのところで生活していた。住宅地の真ん中の通路は大きくうねり、中央に深い溝があり、下水がチョロチョロ流れていた。所々にゴミの山があった。貧民は掘立小屋に住んでおり、もう少しマシな連中は石で作った家に住んでいた。

途中でチャイショップに入った。掘立小屋にペンキを塗りたくってある程度のものだ。天井は段ボールが使用されている。カセットテープが回り、アフリカンミュージックが物憂く流れている。私とジョルジュは片隅のテーブルに座り、チャイとマンダジを注文した。若い娘が皿にマンダジを入れ、大きなコップに熱いチャイがたっぷり入ったものをテーブルに運んできた。マンダジは砂糖の付いてないドーナツのような物で、ハンペンか厚揚げのような形をしている。素朴な味でなかなか行ける。マンダジは2つも食えばお腹がいっぱいになる。

その後店を出て、再び歩いた。汗が流れ始めた。ジョルジュは顔見知りに挨拶しながら進む。捏ね繰り返したような道を歩いて、やっとジョルジュの家に着いた。ランドリーショップだった。道を挟んで向かい合った普通の家だ。

中に入ると、最初の部屋は、既に洗濯済みのワイシャツやズボンがハンガーにかけられて客が取りに来るのを待っていた。片隅にミシンが置いてあった。ミシンは「スワン」というチャイニーズ製の物だった。奥の部屋に入る。8畳くらいの広さ。片隅にカーテンで仕切られたベッドルーム、中央にテーブルとイス、反対側の隅に炊事器具が置いてあった。

ジョルジュの妻は、物静かな美人だった。動きが緩やかだ。炊事器具の置いてある所で何かコトコトとやっていたが、そのうちティーとバターサンドを作ってテーブルに出してくれた。ジョルジュが顎をしゃくり、私に食べろと勧めてくれた。

結婚式の時のアルバムを見せてもらった。ジョルジュはかしこまって写っている。ジョルジュの妻も懐かしい表情で写真を見ていた。ジョルジュの上の子は小学校2年生と言ってたから、結婚したのはいつだろうか?そんな事を考えながらアルバムを見た。アフリカ人は、写真に写される事と握手をするのが大好きなようである。

「この家の家賃は500シリング」だとジョルジュが教えてくれた。500シリング。私の部屋代は1日で800シリング。いかに高いか理解できるだろう。ジョルジュの収入は月2000シリング(4000円)足らずだ。何か他のビジネスをしなくてはやって行けない。ジョルジュはアル中の父と、2児と妻を抱えている。「生活は楽じゃないよ」と彼はこぼした。ジョルジュのズボンも私のズボンも埃で白っぽくなっていた。靴も真っ白だ。ジョルジュの妻が拭いてくれた。

埃っぽい道を、再びホテルに向かって歩いた。ジョルジュはパンクした自転車を引っ張っている。夕方になっていた。傾いた陽射しが横殴りに辺りを照らしていた。スペインではこんな時間が一番劇的で、光と影がはっきりする。しかしここでは、もっとシュールなものを感じた。生々しくシュールなのだ。私の感覚ではついてゆけない。

クリスチャンミュージックが町を満たしていた。一人の背の高い男がラウドスピーカーで何か唄うような調子で人々に呼び掛け、人々は突っ立って静かに聞いていた。ジョルジュに聞くと説教だと言う。一人はギターを抱え、もう一人は後ろに置かれたパーカッションを受け持つ。音楽の大好きなアフリカンは唄いながら説教し、宣教しているのだ。男は伝道師だった。夕方になると、どこの町、どこの田舎でも、広場ではこういう風景が見られる。

人々は一日の労働から解放され、説教を聞いていた。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

Current day month ye@r *