アフリカの旅 19

1998年6月9日 火曜日 ナイロビ

いつものように、朝、ホテルの隣のチャイショップに行きマンダジとチャイで朝食。白人や日本人は来ないから、人々は少し珍しそうに私を見ている。チャイとチャパティで朝食を取った。インドの、あのダラムサラの食堂が懐かしく思える。

町へ出て、ニュー・スタンレイ・ホテルの裏手に何軒かあるアートギャラリーを見て歩く。WATATUが一番大きく、展示会もしょっちゅうやっている。アフリカン・アートの本を1冊買った。

昼食は、ホテル860の下にある日本レストランで天ぷらうどんを食べてみた。うどんならぬ素麺でガッカリ。味は?知らない方が良いだろう。しかし天ぷらソーメンというのは日本では食った事がない。料金はお口取りとお茶付で530シリング。とんでもない値段でまたまたびっくり。海外の日本レストランに入ったのも今回が初めて。こんなもんだろうとは思ったが、正直ガッカリした。後の祭りだ。もう2度と日本レストランは行くもんかと思った。

途中、日本に絵葉書を中央郵便局で書いて出した。

ホテルに戻ってシャワーを浴び、少し眠った。

3時くらいに起きて、お茶を飲もうと思って外へ出ると、ホテルの入り口の所に日本人の若者が3人いた。一人は女の子だ。一緒にチャイショップに行き、チャイを飲んだ。

女の子は一人でアフリカを旅して1ヶ月になると言う。サファリに行き、その後モンバサに行ってナイロビに帰って来たと言う。モンバサの治安はナイロビより酷いんじゃないだろうかと言っていた。話を聞くと、アフリカの女一人旅はやはり相当きついみたいだ。大した度胸だ。男の私でさえ、この1ヶ月きつい旅をしてきた。サファリは黒人との接触とか都市の中を歩き回る事もないから安全だが、一歩そこからはみ出たら、やはり危険や色々なリスクやトラブルが付きまとう。

「サファリは安全!でもね、旅はそうじゃないわ」と彼女は言った。私も同感だ。「早くアフリカから逃げ出したいけど、6月28日にフライトがFIXされてるから、それまで居なきゃならないの」と彼女は言った。今の私には彼女の気持ちが痛いくらいよく分かった。色の白い、個性的な女の子だった。写真が撮りたくて来たという。機材の殆どはフィルムと機材だ。私はスケッチブックと絵具で済むが、写真家は大変だ。

男の子2人は一緒に旅している。ナイロビは店が早く閉まり、夜になったらこの辺りは人通りが無くなる。危ないから、ホテルのある区画から外へはタクシー以外では行けない。日本人がナイロビで金を盗まれたとか、殺されたとか、そんな話がひとしきり続いた。私から見たら、3人ともヒョロヒョロヘナヘナって感じで心配になる。

1925年前に中近東やインドを旅していた若者はそうじゃなかった。ボロボロで貧しかったが、ギラギラしたものを持っていた。時代の違いだろう。でも昨日会ったあの乞食同然の若者もいるのだから、一概にそうも言えない。若者はその柔軟性で旅を続け、アフリカによって鍛えられるだろう。

「日本ってどんなに安全な国だか、どんなに住みやすいか、よく分かった」と彼女は言った。

夜は店が閉まって外で食事できなくて、一柳君らと彼女とホテル内のレストランで一緒に食事した。


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