アフリカの旅 20

1998年6月10日 水曜日

赤い道がうねりながら続いていた。マサイ・マラ自然公園、ここにはシマウマ、キリン、アンテロープ、ライオン、ダチョウetc…。上野動物園で見た事のある動物が野生状態で住んでいる。

宿を出て、DO DO WORLDのオフィスに9時頃行った。オフィスの人がベスト・オブ・キャンピング・サファリという会社まで案内してくれた。私の他にフランス女性の2人組とスウェーデン人の親子、計5名が今回のメンバーだった。車は運転の上手な中年の黒人がする。彼はヨセフ、サファリのベテランという感じがする男だった。

ナイロビを出発したのが午前10時、ナロクの町で昼頃給油した。この先にはもう町がない。1時頃、土産物屋のあるレストハウスで昼食した。各自に1個ずつ弁当が配給された。箱を開けると中にバナナが1本、サンドイッチ、マンダジ、それにビスケットが入っていた。アフリカでこんな食事は違和感があったが、大人しく食べた。

再び走る。すぐに道は舗装が切れ、赤い色した凸凹のオフロードになった。マサイ・マラに来たのだ。

見渡す限りの草原地帯、シマウマや野生の牛、トムソンガゼルがまるで放牧しているように沢山いて、草を食んでいる。今まで町の中ばかりにいたせいか、自分が見ているものが現実ではないような感覚が付きまとう。この土地の住人はマサイ族だ。赤い布を身に巻いて、手には槍やこん棒、それに細いただの棒を持っている。20世紀からいきなり原始の世界に入り込んだ感じがした。道はうねりながらサバンナの中へ続く…。

やがて雨が降り始めた。雨は激しくなり、道はたちまち川になった。ヨセフは巧みなハンドル捌きで車を走らせる。乗客たちは心細くなって黙り込む。時計を見ると4時を回っていた。

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ゲートが見えてきた。ここが、野生の王国の入り口なのだ。少し行くとアンテロープが沢山いた。ダチョウも見かけた。ヨセフが車を停めた。もう雨は去り、草食動物達は濡れた草を食べていた。私も写真を撮った。ヨセフはすれ違う車の運転手と情報交換し、ライオンが今いる場所を知るとそちらへ車を走らせた。

もう辺りが暗くなる少し前に私達は現場に着いた。同じようなサファリカーが大きな円になって草原の中に停まり、その中心にライオンの一家がじっとしていた。オスの大きなライオンが並んで2頭座っていた。少しはなれて、メスのライオンと子供のライオンが数頭寝そべって爪を舐めていた。こんな事には慣れているらしく、無頓着に振舞っていた。「来てすぐにライオンが見られるなんて、あんたらはラッキーだ」とヨセフが言った。

すぐに辺りは暗くなり始め、私達はキャンプ地へと向かって急いだ。別なゲートをくぐって川を渡ると、すぐ岸の所を左に曲がってブッシュを抜けた所にキャンプ地があった。その名を「リバーサイド・キャンプ」と言った。常設のテントが幾つか張ってあり、中央に食堂兼キッチンの掘立小屋があり、黒人のコックが夕食の準備をしていた。私はあてがわれたテントの中へリュックを投げ出し、マットレスに横になって少し休んだ。

夜7時、夕食。食堂には私達と他のグループが来ていて、全部で12人くらいだ。全部ヨーロッパ人で、日本人は私だけであった。別なテーブルに料理が置いてあり、自分で皿に取って食べる。マッシュド・ポテト、牛肉の焼いたもの、茹でたストリング・ビーンズ、パイナップル、野菜を炒めたもの、トマトソースが出た。それに大きなヤカンに入った熱いコーヒーとティー。共通語は英語である。ヨーロピアンも今では上手に英語を話すようになった。旅の話、国の話、サファリの話と話題は尽きない。タスカビールをラッパ飲みしながら色々な事を話した。雨が再び降りだした。

夜10時くらいにテントに戻る。テントの所に誰かいた。赤い布で身を包んだマサイ族の青年だ。びっくりしたが、話してるうちにキャンプ地のガードマンだと分かった。手にした槍先が光った。キャンプ地にはフェンスが無く、周囲をライオンなどの野獣がうろついているのでその槍が頼もしく見えた。持っていたオレンジを分けてやると彼は嬉しそうに笑い、闇の中へ消えた。

私はスリーピングバッグに潜り、昼間の疲れからぐっすり眠った。

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