アフリカの旅 23

1998年6月13日

ホテルをエムバシイからニュー・スタンレイ・ホテルに移り、明日のフライトに備えた。エムバシイ・ホテルでは早朝のタクシーの確保が心配であったからだ。明日は日曜だから、タクシーもあまり動いてない。

エムバシイで一緒になった村中さんと染谷さんと3人で、イタリア料理店「トラットリア」に行き、昼食した。

村中さんはスペインのマドリッドの旅行会社で働いていたが辞めて、スワヒリ語の勉強と就職の為にナイロビに来た。学校に通い始めて3日目と言う。宿舎が一杯で、6月26日にならないとは入れない。それでエムバシイ・ホテルに仮住居している。

染谷さんは写真家。キャパが好きだという。アフリカの写真を撮るためにアフリカに来た。もう帰りたいが、帰国のフライトが6月28日にFIXされているので、それまで帰れない。

ナイロビは非常に物騒で、夕方からは一歩も外に出られない状態である。まして、女の実ではなおさらだ。3人だと心強い。

「トラットリア」は純イタリア風の店で、ニュー・スタンレイ・ホテルの近くにある。私はボンゴレスパゲティを食べた。他に、一皿のピザパイを3等分して皆で食べた。冷たいタスカビールも今日でお別れだ。

「いいわね早く帰れて」と染谷さんが言った。実感がこもっていた。女一人では、ナイロビは危険で歩けないのだ。
村中さんは「私も考えちゃう。ここで就職しても、ここで安全に暮らせるかどうか」と言ってため息をついた。
「学校友達とかアフリカ人の友達が出来れば、事態は変わるんじゃないかと思う」と私は言ったが、自信はなかった。それほどに今のナイロビは怖い街であった。殺されたとか、暴行されたとか、そんな話ばかり聞かされていればこちらの神経もいい加減おかしくなってくるのだ。地方の町は比較的安全であったが、ナイロビはそうじゃない。

私の借りた部屋を見たいと言うので、3人でニュー・スタンレイ・ホテルに行った。私の部屋は203号室で、クラシックな英国調で素晴らしく美しかった。彼女たちは目を見張り、「エムバシイ・ホテルに居るのがなんだかみじめ」と言った。
「最後の日にここに一泊したら、良い旅の思い出になるさ」と私は言ったが、私にとってはエムバシイもここも大差ないように思えた。

周囲を押し包むムードは危険のシグナルを発し続けていたからだ。空港へ行くのも、その辺で悪い白タクでも拾った日にはどこへ連れて行かれるか分かったもんじゃない。だから私は1泊120ドルの大金を払って泊まる事にしたのだ。このホテルのタクシーなら間違いなく安全だからだし、朝の7時でも空港に行けるようにホテルがサービスしてくれる。アフリカを出る最後の最後まで気が抜けなかった。

彼女らをエムバシイ・ホテルまで送り、ホテルの横のサラリーマンやOLが利用している安全な安いレストランを教えてあげた。彼女達は、外に出るのが怖いのもあって、もっぱらホテル内の高くて不味いレストランを利用していた。まあ、彼女らがいつも2人で行動してる分には大丈夫だろう。別れる時、お互いに無事だったら手紙を出そうという約束をして別れた。

夜は男の私でも一人歩きは出来ない状態なので、ニュー・スタンレイ・ホテルの高くて不味い夕食を一人で食べた。ここの夕食は、チキンのカレーが一皿500シリングもしたのでびっくりした。500シリングというのは、あのケンバシホテルのマネージャーが借りている家の1ヶ月の家賃と同じなのだ。

部屋に戻り、明日の出発の準備をしてから眠ったがあまりよく眠れなくて、寝苦しい一夜を過ごした。日本が非常に遠く思えた。日本に帰れない夢を何度も見た。私はアフリカから日本に帰れないかもしれない、殺されてしまうかもしれないという恐怖と、朝まで闘わねばならなかった。

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