アフリカの旅 24

1998年6月14日

7時にマヌエルという名前のタクシーの運転手が私を迎えに来た。ホテルのレセプションで彼に会い、彼のタクシーで空港に向かった。地図で空港への道はチェックしている。もし彼が違う方向に行くようだったら停めさせて、別のタクシーに乗るつもりだった。

私はアフリカ人を最後まで信じられなかった。人を信じられぬという事は苦しい事だ。しかしマヌエルと色々な話をしている間に、だんだんと真面目な働き者に見えてきた。マヌエルを信じる事にした。無事空港に着いて、私もホッとした。マヌエルにチップを上げ、手を振って別れた。彼も手を振っていた。

まだ早いのでキャフェテリアに入って、チャイとマンダジを注文した。私はタバコをふかしながら周囲を見た。スリが多いからだ。ここは危険な感じはしなかった。しかし、後にはアムステルダム行の飛行機に乗るという仕事が待っているから気は抜けない。

私は次の行動に移った。何回となく出国、入国を経験しているのにやはり緊張する。K・L・M(オランダ航空)のカウンターでボーディングカードを貰い、出国カードに記入して空港タックス20ドルを支払ってから、簡単なパスポートチェックを受けた。荷物とボディーチェック、これらは思ったより簡単に済んだ。例によって日本人の姿は見なかった。アラビア人やエジプト人、白人、インド人が多い。

自分の搭乗ゲートに向かって歩いた。後ろから来た白人に聞くと、アムステルダムに彼も行くと言うので一緒に行動した。係員に5番のゲートで待てと言われたので、そこで椅子に座って待った。

彼はイギリス人で、スコットランドのグラスゴー大学の先生だった。年齢は私と同じくらい。アフリカに来たのは30年前だと言う。「その頃のナイロビは本当に良かったよ。住みやすかった。今は危なくてネ」と彼もこぼした。

色々な話をした。私がトーマス・ハーディーの小説が好きだと言うと、彼も好きだと言った。「ただ、文章は素晴らしいが難解な所もあるし、悲劇的だネ。ディッケンズはやはり偉大な作家だ。バラエティに富んでるし文章も良い」と言った。私は昔愛読したワーズワースの詩の事を聞いてみた。彼はワーズワースの人生を語ってくれた。

話はサマセット・モームのトロピカル・ショートストーリーに移り、さらにR・L・スティーブンスンの脱・文明の話になり、「月と6ペンス」からゴーギャンのタヒチの話へと伸びて行く。きっと、学生にとって良い先生だろうと思った。

彼は盆栽の話をした後で、ボルテールの「キャンディード」を読んだか?と私に聞いた。読んでないと言うと、ぜひ読めと勧めてくれた。ボルテールはその中でTEND OWN GARDEN(自分の庭を見守れ!)と述べていると言った。

私は「釈迦と少女」の話を彼にした。仏陀がある日、多くの人を集めて聞いた。「あなたにとって一番しなければいけない事は何か?」 王様は民を治める事だと答え、商人は金を儲ける事だと答え、職人は桶を作る事だと答えた。最後に一人の少女が、病気で寝ている母を看病する事だと答えた。すると仏陀は、「この少女の如くあれ」と皆に言ったという事である。

イギリス人は、「まさにボルテールもその事を言ってるのですよ」と言って笑った。彼と話していると楽しかった。アフリカではこのような会話を持てなかった。「30年もアフリカにいるが、未だにアフリカ人の心が解らない」と、私がラフカディオ・ハーン(英国人。日本名:小泉八雲)の話をした後で彼はそう言った。
「人類はアフリカから生まれてきたのだし、アフリカによって人類は滅びるのではないかと私は思いますね」と言うと、彼は確かにそうだろうと言って笑った。物事を深く見ている人物に会えた事は、私にとって大きな喜びであった。

彼は庭造りの話、ローズガーデンの話をしてくれた。「イギリス人は本当にガーデニングの好きな国民でね、私も大好きだよ。島国という性格がイギリス庭園(不定形式という点で日本式庭園と非常に似ている)やローズガーデン、あるいは日本庭園や盆栽を生み出すのではないか?」と彼は言っていた。フランスやイタリアの庭園はシンメトリカルである。

「コンチネンタル(ヨーロッパ大陸の事で、イギリスと分ける時に使う)の人々の性格と、我々英国人の性格は全く違うのだよ」と言ってから、ヨーロッパ共同体の話に移って、「おそらくマネービジネスにとっては必要かもしれないが、それは確実に自分の国の文化やアイデンティティーを破壊する。私は貧乏したっていい、今のままでネ。反対だよ」と彼は言った。
私は「日本には昔からブッディズムに裏打ちされた清貧の思想があり、芭蕉や西行や山頭火の句に見る流れがあって、金銭に執着する事を恥とする風潮があった。古い日本にはそれが残り、新しい日本にはそれが無くなった」と話した。そんな事を話したり、お茶を飲んでたりしてるうちに10時頃になった。出発は11時だからもう少し時間がある。

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8番ゲートから出発する事がわかり、私達は移動した。もし私がこのイギリス人と行動してなかったら、空港に取り残されたかも知れなかった。「これがアフリカだよ」と彼は言って笑った。

飛行機のタラップを踏んで上る時、私は、助かったという風に感じた。地獄から逃れて行くカンダタのような気分であった。それは、ナイロビがあまりにも治安が悪く怖かったからだと思うし、アフリカ人を私が本当に理解し得なかった事を示している。「オジさんは早く帰れていいわね」と、あの女の子2人が恨めしそうに言っていたのを思い出した。

飛行機はイシオロの北に広がる乾いた土漠の上を飛んでいた。トラックの上で2晩星を見ながらそこを越えた、あの乞食のような日本人青年の爽やかな目の色を思い出した。

隣の席に座っている青年が、エジプトの砂漠がいかに美しいか語った。「きっと貴方が行けば、素晴らしい絵が描けるでしょう。夜明け!とても言葉に表現できない」と青年は言った。彼は自分は半分エジぷt人なのだと語った。父がエジプト人で母がオランダ人。そして母は私が12歳の時にオランダに私を連れて帰ったのだと言った。様々な人生がある。

下の方に、大きくうねって流れるナイル河が見えた。昔、私はナイル河を旅して、エジプトからスーダン、エチオピアを抜けてケニヤのビクトリア湖(ナイルの源)までを旅したいという夢を長い間持っていた。私はそれを思い出して、胸が熱くなった。今度私が行くアフリカは、ナイル河とサハラ砂漠になるだろう。私は、ナイロビで味わった恐怖をもう忘れ始めているのだ。

次に私が求めるものは大きな自然。その中で生きる人々というものだと思った。下の方に見える砂漠が私に語り掛ける。夜明けの光を、夜の星を見たくないのか?そしてまた、風の音を聞きたくないのか?と。

私はアフリカ病に置かされたのかもしれないと思った。

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