アムステルダム日記 4

1998年6月17日(晴れ)

7時頃起きて支払いを済ませ、カルピスークにコーヒーを飲みに行った。一度戻ってからデイパックにカメラとスケッチブックを入れて出かけた。

今日はビンセント・バン・ゴッホの美術館に行く事にして歩いた。国立ミュージアムの近くにあるらしかった。ミュージアムまで行き、通行人に聞いて道を教えてもらった。オランダ人は親切に道を教えてくれる。

館内は結構混んでいた。レストランで紅茶を飲んで、タバコを吸って休んだ。 ホテルからたっぷり2km位は歩いた。

2階にはゴッホのオランダ時代の作品があった。色調は暗い。南仏に移ってからのゴッホの作品は明るい。ガラリと絵が変わる。しかしながら、この当時パトロンを持たない画家は(金持ちを除いて)命がけだったと思う。自由に絵を描く、自己に忠実に生きる、ゴッホの作品からはそういう情熱が伝わってくる。彼と同じくらいの力量の画家は他にも多くいたのだが、ゴッホはその生き方において情熱的で悲劇的であった。そして早くに夭逝している。そういう要素も、人々を惹きつけるのかも知れない。

分の絵が、後年このような形で世界中の人々に愛されるようになるとは、生前の彼は夢想もしなかったであろう。ロクに絵も売れぬまま、(世俗的な)成功もせずに終わった不運の画家であったし、その意味において近代の代表的な画家とも言える。多くの画家、忠実な人間の運命を代表する画家であったゴッホ…。成功する事なく、貧しく終わる。それが大半の実存的画家の運命なのだ。貧しくある事に、世に認められぬ事に耐え切れず、画家を断念してしまう者のなんと多い事か。

ゴッホは私に勇気を与えてくれる画家である。私は他人事と思えず、胸に手を当てて一人ゴッホ美術館を後にした。描き続ける勇気を与えられた。

風が吹き、プラタナスの葉が舞った。運河の水面にさざ波が立ち、映っていた建物の影が消えた。木の葉を通して降り注ぐ日差しの下を歩き、疲れると岸辺のベンチに腰を掛けて休んだ。自転車に乗った人々が次から次へと通り過ぎて行く。

鞄からスケッチブックを取り出し、ペンを素早く走らせて線を重ねる様にして描いた。ペンは消せないからしくじれない。昔は、しくじったらと思うと緊張したが今はそんな事はない。見たものが自ずから線になってゆく感じだ。もどかしいような気持ちでペンを走らせる。水の上の光の散乱。船の優美な線。運河に沿って建ち並ぶ昔の建物。どれをとっても私を夢中にさせるものがある。

夢中で絵を描いていると、向こうから色の黒いアラブ人かアフリカンの3人連れの若者がやって来た。二人は私に駅に行く道を訊いた。普通ならこの二人に気を取られて、もう一人の動きに気が付かない。彼は足元にあったカバンを足で隠した。しかし私はアフリカで十分鍛えられていたからすぐに気づき、何気なく自分のカバンをゴミ箱の影から取り戻し、相手がスリである事を知らぬような顔で道を教えてやった。こっちも役者、向こうも役者をやって、何事もなく笑いながら別れた。油断はできない。

少し歩いて行くと、橋の所で若い男がギターを弾き、歌っていた。ドノバンの歌。ずいぶん懐かしい。私は彼にコインを渡し、歌を聞きながら、橋の欄干にスケッチブックを置いて描いた。今度はデイパックは肩に背負った。ここは人通りも多いし安全な感じだ。

途中で買い物をし、ホテルに戻ると5時近かった。熱いシャワーを浴びて遅い昼寝をした。起きてから再び絵の仕上げに取り掛かる。腹が減ったので、買ってきたピザを食べた。

夜、船の中のバーに行き紅茶を飲んだ。いつも客は数人いるだけで、オランダ人の女の子が一人でやっている。ジュークボックスが置いてあり、いい曲がいつも流れている。窓の外は運河で、ボートが行ったり来たりしていてそれらを眺めているだけでも飽きない。愛想の良い子で明るい。絵を見せてやったら「うーん、楽しいわ」と言ってアフリカの絵を見ていた。マサイ・マラの話をした。彼女も旅が好きで、私も一度行ってみたいと言っていた。オランダの南の方にある田舎町から、アムステルダムに上京してきたのだと言う。でもこの街はクレイジーだから、田舎の方が本当は好きだと言って笑った。

人との心の触れ合いは、一人旅の私にとって救いだ。夜は外へ出る気がしないので、よくここで過ごす。

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