マジャールの残影 2-1

1997年4月16日

メイドがルームに運んできた朝食を済ますか済まさぬうちに、私達はロビーのカウンターに連れて行かれた。そこで飛行場からの迎えの車を待たされた。この国では、待つ事と待たされる事を学んだ。

社会主義とはそういうものだろう。一部の特権階級を除いて他の大部分の国民は、常に売り場の前に行列を作って待たねばならない。共産党独裁の社会主義国家になってから長年にわたり培われてきたこの体質は、ペレストロイカの後もなかなか良くはなっていなかった。

私はガッカリする思いでモスクワを後にした。

私達を乗せた飛行機は、午後1時半に古都ウィーンに着いた。飛行場に着くと自由主義のオープンなムードに一気に包まれた感じがした。

ロシアではあれほど物々しい入出国が、ここでは悪夢の様に思えた。オーストリーでは入国時のチェックも一分。あっけないくらい簡単だった。

私達は籠から放たれた鳥のような気分だった。モスクワにはもう行きたいと思わなかった。誰しも同じ気分だったであろう。

私達の旅は出たとこ勝負の気ままな旅だから、ウィーンにホテルを予約してあろう筈もない。さてと、今夜はどこに泊まるか?

とりあえず、私は妻を連れて空港内の両替所に行き、200ドルをシリングに変えてもらった。

それから、その前にあったカフェテリアの白い椅子に納まった。オーストリーの民族衣装を着た中年のホステスさんが、私達のテーブルにクリームのたっぷり入ったウインナーコーヒーとビールを運んでくれた。サービスもキビキビしていて愛想も良い。国によってずいぶん差があるものだと、またまた驚く次第であった。

モスクワは私が20年前に行った時、それから7年前に行った時、そして今回も大差ない…。早く民主的な、自由な国になってほしいと願うしかない。

カフェテリアで1杯の良く冷えたビールを飲み干す頃には気分も落ち着き、どうしたら良いかも分かってきた。シリングがどの位の率かも飲み込めた。

カフェの近くのインフォメーションの隣の宿泊先紹介所で宿の手配をした。自分の泊まりたい地区と予算を言うと、受付の女性は

「こりゃ難問ですね」

と言いながらも探してくれた。

私の条件はオペラ座に歩いて行ける事、ツインで600シリング(約6000円)程である事。常識的にはこの地区ではこの2倍はする。3日泊まるという条件で800シリングの宿を600シリングにしてもらった。オペラ座に歩いて行ける場所なら、大使館でも他の劇場でも有名なステファン教会でも国立博物館でも、必要な所は大抵歩いて行けるから便利なのだ。

私は20年ほど前に一度ウィーンに来た事があり、1週間ほど滞在したので少しは覚えているかと思ったが、ステファン教会に見覚えがあるだけで他は全て忘れていた。全てが初めて見るような気がした。

hungary2-1


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