マジャールの残影 9-4

店を出てからヤーノシェピンツェのマダムの教えてくれたMiNi HOTELを探し、探し、歩き始めた。

そのホテルはKOCZiAN4:2(コチア通り)にあった。ペーチの旧市街は、端から端まで歩いてもせいぜい30分程度で、中心部へはせいぜい15分も歩けば着いてしまう。

ホテルの看板を見つけた時はホッとした。曲がりくねった横町にある目立たない普通の民家だ。

入口のベルのボタンを押すとドアがサッと開き、小柄でがっちりとした老人が現れた。ハンチングをかぶったアーネスト・ボーグナインを思わせる。彼は

「シュプレヒェン・ドイチェ?(ドイツ語は喋れるか?)」

と聞いた。

私は手を広げ、首を振ってみせた。

「ま、しょうがねえな」

と老人は笑い、それでも後はドイツ語で色々と説明してくれた。ドイツ語なら外国人に少しは通じると思ってるらしい。こちらも言葉は分からずとも平気だ。

国境をルーマニア、ユーゴスラビア、ウクライナ、チェコスロバキア、オーストリアと接する小国ハンガリーの人々は、常に言葉の分からぬ外国人と接しているから要領を心得ている。老人はカレンダーを取り出し、何日泊まるかと身振り手振りで聞く。私がカレンダーの数字を指で示して、4月24日から4月27日まで泊まり、4月28日に出発するのだと身振り手振りで言うと、すぐに理解した。

パスポートはチェックしただけですぐ返してくれた。その後部屋を見せてくれた。ホテル代を払う。全て前金だ。1日二人で3500Ft(2500円)だった。4泊分の代金、全部で14000Ftのところを13000Ftに負けてくれた。

私達の借りた部屋はツインルームで広さは6畳くらい。ベッドが2つ、ストーブ、タンス、机といす、それに白黒だがテレビもあった。

造りはスペイン風で中庭があった。壁も漆喰で白く塗ってあり、壁には鉢植えの花が飾られていて綺麗だった。

中庭に面して、私達の入り口のドアと小窓がある。ドアを開けて中に入ると6畳くらいの小部屋があり、椅子とテーブル、冷蔵庫が置かれていた。

その奥は水洗トイレ&シャワールームで、栓をひねるといつでも熱い湯が出る。

その部屋の横のドアを開けるとそこが私達の部屋で、反対側にもう一つ部屋があった。

中庭の外れに自由に使える共同のキッチンルームがあり、そこで料理をしたりお茶を沸かしたり、食事が出来た。

キッチンルームの入り口の傍らはブドウ棚で、下にはイスとテーブルが置いてあり、私達は暖かい日はよくそこでお茶を飲んだり、食事したり、手紙を書いたりした。

日中の暑いような時は部屋に引っこんで昼寝した。中庭の奥はガレージで、キッチンルームの向かい側は花畑で、老人はせっせと花の手入れをしていた。こうして見ても、この家は中庭がかなり広く、思ったより部屋数も多いのだ。

部屋の隅にリュックサックを降ろし、ベッドに疲れた体を横たえ、しばらくじっとしていた。

ペーチ、この町はすでに私の心を捕らえた。私はこの街でなら絵が描けるに違いない。北海道の下川を出発してから早くも3週間、思えば遠くへ来たもんだ。

昼寝して、夕方から外出した。ホテルは旧市街の外れにあるが、中心部までは歩いて10分ぐらいで行けた。

ホテルの周囲には、町の人達がたむろする酒場やレストランや八百屋などがあり、中心部に行くと観光客の出入りするビアホールやレストランやデパート、それにマクドナルドが目立つ。

ハンガリーは東欧の中では一番早く自由化に踏み切った国だけに、物資は思ったより豊富で、人々の服装もカジュアルで(ジーンズやスカートが目立つ)、私達の方がよほどダサかった。マイカーも目立った。ここでは車を手に入れる事は夢でなくなっている。

町の中心部を抜けて外れに近い所で、そんなに高くなく感じの良いレストランを見つけて中に入った。メニューはマジャール語。チンプンカンプン、まるで判じ物だ。それでも少し慣れた。

家に帰り、厚いシャワーを浴びた。時計は9時頃だ。昼間の疲れで眠くなり、ベッドに入る。

ウィーンでもそうだったが、私達は家の入り口の鍵と部屋の鍵を最初に渡されているので、出入りは何時でも自由である。その点気が楽だ。

hungary9-4


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