マジャールの残影 37

1997年5月25日 日曜日 晴れ 肌寒い

目が覚めると、胸の辺りが苦しかった。夜明け少し前だった。起きてみたが、気分は悪くなる一方だ。

死の予感がした。

心臓病の特徴だ。心因性のものなら大事ないが、本物だったらあの世とやらに行きかねない。

私はいつも持ち歩いている財布の中からニトロールを取り出して口の中に入れた。最後の一粒だ。舌の上でゆっくり溶かす。寝ていても気分が悪いので、そのまま起きて日記を書いた。

夜明けが来て、周囲が明るくなってきた。私の死神も諦めたか、一時ほどすると楽になった。

しかし、今度発作が起きてもニトロールはもう手元に無い。今日アグネスに連絡して、病院に行き医師からニトロールを貰うのが賢明だろう。早く日本へ帰って養生した方が良さそうだ。

エゲル→ブダペスト→ウィーン→モスクワ→成田→横浜→下田→東京→新橋→小樽→下川

道は遠い。本当に帰れるのか心配になってくる。

成田から飛行機で私だけ先に帰るのが得策かもしれない。いずれにしても、もう無理は出来そうもない。

この日は一日中、胃の辺りが重苦しく気分が悪かった。気温も低く、寒くなっている。

スケッチブックを失った。物乞いの少年の集団に囲まれた時に盗まれたらしい。次の日に、心覚えのある店に寄って聞いてみたが出てこなかった。弱り目に祟り目の一日であった。

あの少年たちはスリであったのかも知れぬし、そうでなかったのかも知れない。

ルーマニアやブルガリアからの移民、ジプシーの子らは貧しい者が多い。生きてく為には仕方なかろう。それでも、私は今日一日を生き延びたのだからそれでありがたいと思わねばバチが当たる。

夜、ドボーの城下にある中国料理店に行き、文子と二人で食事した。豆腐のスープ、麻婆豆腐、豆腐とベジタブルの炒めた物、白飯。こんな時は食べ慣れたものが良い。それにここだと、リラックスして食事できるのが何よりもありがたい。

チーフのチェンさんが、病気に効くお茶を入れてくれた。チェンは年の頃30~40くらい。北京出身で物腰が柔らかい。インテリ風の人である。

ハンガリーは医療技術も高いという評だし、医療費も安いようだ。言葉が不自由だったが、それでも医師は、私が心臓病で手持ちのニトロールがなくなり、日本へ帰るまでの間に発作が起きたら困るのでニトロールを下さいと言っている事を解し、私は手に入れることが出来た。

医師達は親切だった。私はハンガリーのスケッチを見せてあげた。ニトロールが手に入った事と、病院で医師に診てもらえることで不安感はかなり無くなり、精神的には楽になった。

もう少し絵を描きたいという気持ちと、早く帰りたいという気持ちが私の中でせめぎ合っている。

hungary37


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