マジャールの残影 49

1997年6月8日 日曜日

午前中は、家の中で絵の仕上げなどをした。

2時に家を出て、アパートの前のバーチィー通りをデアークと反対の方向へ歩いて行った。

郊外に出る。メトロで2つ目の駅まで歩き、IBUSホテルの前の所でカタリンを待った。今日は、3時にカタリンの家に呼ばれていて、出てきたのだ。

カタリンは約束通り現れた。車で来ると思っていたら、歩いてきたのでびっくりした。

カタリンの家はそこから歩いて2分くらい、すぐ近くだった。コンクリートの四角いアパートである。

私は、エゲルのアグネスのアパートを思い出した。社会主義の頃の産物で、どこか画一的である。カタリンは

「…建物じゃないわ」

と言っていた。

彼女は、従妹のエリザベスと一緒に住んでいる。

昼食をエリザベスが用意してくれていた。皿とナイフとフォーク、キュウリのサラダと食前酒がテーブルに用意され、キャンドルが2本、テーブルの上に点されていた。食事の時、灯があるのはいいものだ。私は調子が良くなくて、お酒が飲めないのが残念だった。

コニャックを小さなグラスに1杯と、ソーダ水をいただいた。その後でヌードルと人参とチキンのスープが出た。全て別々の皿に盛られ、それらを好きなだけ皿に取り、最後に鍋の中の熱いスープを入れるという食べ方が珍しく、面白かった。

次にはハンガリーの代表的料理の一、ブラショーイ・アプロペチニが出た。家庭の味で美味しかった。フライドポテト、肉、グリンピースなどの入った、ボリュームたっぷりの料理である。

食事をしながら色々な話をした。彼女は聖ブレンダンの航海記や、キャプテン・スローカムの航海記も読んでいたし、コン・ティキやインカやアステカの話などもした。

なぜマレーシアやインドネシアに回教があるのか?という彼女の質問にはこう答えておいた。

「ヨーロッパ人がマラッカを占領する以前には、多くのアラビア商人や僧が来ていた事、それまでアニミズム的な宗教(土着)しかなかった事、タイとマレーシアの間に、交通不能なジャングル地帯があった事と、海に囲まれた島嶼国であった事が中国の支配を阻み、回教の浸透を容易にした事などが理由として挙げられると思う」

従妹のギターが私の後ろに置いてあったので、弾いても良いか?と言うと、イゲン、イゲンと言うのでいろいろな曲を弾き、歌った。

カタリンは、私がギターを上手に弾いたり、唄を歌うという事が不思議な感じがすると言って、驚いていた。しかし、皆喜んでくれた。音楽に国境はない。フミコも歌った。

夕方にカタリン達に礼を述べて、宿へ帰った。

帰りにはドナウ川の岸辺を歩いていった。私はここを散歩するのが好きだ。

hungary49


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