マジャールの残影 51

1997年6月10日

結局、X線防御袋(鉛の袋。フィルムが空港などでの金属探知機の発するX線で観光するのを防ぐ)はブダペストでは手に入らぬまま、ウィーンへ行く事になった。

デアークの地下道で、2人のミュージシャンが素晴らしい演奏をやっていたので、足を止めてしばらく聴いた。

スリがウロウロしているので油断は出来ぬので、こんな時でも時々周囲を窺わねばならない。それらしい人物が近くにいるので、フミコに注意を促す。

2人の若い男、一人はギター、一人はアコーディオンでハンガリー人だった。昔の古いタンゴや、ハンガリーの曲を巧みに演奏した。ストリートでは、ボリビアのフォルクローレ・グループを除き、この2人がベストだった。フォリントが余っていたのでCDも買った。

エリジャベートのバスターミナルでコーラとサンドイッチを食べ、トイレに行ってから、ウィーン行のバスに乗った。すべて座席指定で、私達は昨日、2階のボーディング・オフィスで7400Ft(2枚)でチケットを買っておいた(パスポートのチェックがある)。

バスは12時、定刻に出発。乗客は少ないと思ったら、出発間際にドヤドヤ乗って来て一杯になった。

私達はこのバスに乗るのは4回目で慣れている。日の当たらない席がどこかも分かっているので、そこに座った。

15分も走ると、もう北海道の富良野辺りと同じ風景が続く。

ジェールの町を出ると、また広い平野になる。ヒマワリの苗が、何百ヘクタールもの畑に植えられていた。夏になったら見事だろうと思った。映画「ひまわり」(ソフィヤ・ローレンとマストロヤンニ)の中に、一面のひまわり畑が出てきたのを思い出した。

ボーダーで出国のチェックをする係官が乗り込んできて、パスポートを見せる。赤い紙きれ(ビザ)ともお別れだ。

続いてオーストリーの係官がバスに入って来て、入国のチェック。大体10分くらいで終わり、バスは再び走り始めた。

夕方の4時にウィーンに着いた。

バスターミナルからペンション・カイセラーに電話した。シングルの部屋しか無いという。

「それでもいいから泊めてくれ」

と言うと、OKと言うので、

「10分後に行く」

と電話を切った。

このペンションは今度で3回目である。スタッフはドイツ語(オーストリー)の他に英語が出来るし、親切だし、ステファン教会まで歩いて10分とこの上なく便利で、他のホテルより安く清潔である。

テレビ、シャワー、洗面台付のシングルルームで、2人で7000円だった。初め800シリングと言われたが、4日泊まるから安くしてくれと言ったら700シリングにしてくれた。

シャワーを浴びて休んでから、夜8時ごろステファン教会辺りまで行き、以前に見つけたセルフサービスの店で夕食。ベジタブル料理とサラダとパンとビール、それにソーダ水で125シリングだった。結構二人とも食欲があったので、その後でスパゲッティ・ミラノ(65シリング)も平らげた。

その後、教会広場のベンチに座って夕涼みをした。

広場はそぞろ歩く人々や、レストラン前の白いテーブルで食事したり、飲んだりする観光客で一杯。ステファン教会の見上げるばかりに高い塔は、照明のライトの中で砂糖菓子のように見え、何か非現実的、異空間という感じがした。

ここも中世と現代がミックスした世界である。

hungary51


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