マジャールの残影 55

1997年6月14日 晴れ 帰国

朝7時頃に目が覚めた。よく眠れたので体調はまあまあだ。安心して胸を撫で下ろす。

ペンションの近くで、スケッチに恰好の場所を昨夜帰る時に見つけていたので、ボールペンとノートとカメラを持って、一人ですぐに出かけた。フミコはまだベッドの中だ。

そこだけは昔のまま時間が止まったみたいで、私はすぐにフィルム1本(50枚)を撮ってしまった。ノートにボールペンでスケッチした。1枚のスケッチの方が、50枚の写真より私には価値がある。私には写真は参考用でしかない。後で家に帰って、アトリエで製作する時に役立つ。

帰りにカフェでカプチーノを飲み、ペンションに戻った。フミコは起きて荷造りをしていた。フミコと一緒に8階の食堂に行き、朝食。

ペンション・カイセラーのメニューは、365日同じらしい。2か月前に来た時となんら変わらない。変わったと言えば、食堂の窓が開け放たれ、日差しが強くなった事くらいだ。

食事の後、会計を済ませる(700×4=2800シリング)。

ペンションを11時頃出て、ヒルトンホテルまで歩き、空港行のバス(70×2=140シリング)に乗った。

空港のイミグレーションでtax freeの品物を持っているかどうかと聞かれ、うっかりyesと答えてしまったばかりにカスタムに行かされ、目にあった。幸い日本人女性のスタッフがいたので助かった。

結構旅慣れるつもりでも、こんな失敗をする。失敗する事で覚える。拝崎君は、喧嘩をする事で言葉を覚えると言っていたのを思い出す。

ボーディングを済ませ、1時45分発のモスクワ行アエロフロート機の座席に納まった時はホッとした。

ロシア人の乗客で一杯だった。気分も少しは楽になったが、胸の辺りがモヤモヤしている。

結局、離陸したのは30分遅れであった。3時間くらいでモスクワに着いた。

飛行機がターミナルに着いても、しばらく機内で待たされた。ウンザリする。ロシア人のおばさんが大きな声で文句を言うと、他の乗客もザワザワと騒ぎ出した。それでやっと外へ出る事が出来た。

係員が何を考えているのか、時々解らなくなる。モスクワのホテルに着いた時も、乗客が何か言うまでバスのドアは閉じたまま、運転手は黙ったままで何もしなかった。

抗議イコール逮捕という図式が染みついてるみたいだ。中国でも似たようなことを経験している。社会主義や共産主義の悪い面の一つだ。事なかれ主義というのか、上からの命令が無いと動かない。サービスという点では、ゼロに近い。

成田行の飛行機に乗り替えるのだが、タイムスケジュールでは、出発まで1時間しかない。しかし30分遅れてウィーンを出発したから、間に合うかどうか心配になった。

空港には、驚くべきことに時計が一つもなかった。これでは現地時間が分からず、旅行者は困ってしまう。仕方ないので、土産売り場で働いている売り子さんの時計を見せてもらって、やっとわかった。彼女らは親切だった。

時差を正確に知っていれば(正しい時計が必要だ)計算できるが、知らない乗客がほとんどだろう。モスクワ空港の評判が悪いのは当然だ。

成田行の便の出発時刻は、チケットには19:20と書いてあり、ほとんど時間が無く焦った。

「この調子じゃ、出発時刻も遅れるんじゃないの」

とフミコが言った。実際にその通りになった。出発時刻はゲートのデジタル表示に20:20と出ていた。予定より1時間遅れであった。

結局、成田到着はチケットでは日本時間で9時15分とあったが、実際に到着したのは11時だった。

hungary55


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