マジャールの残影 56

1997年6月15日 日曜日

今、アエロフロート機は日本海の上空1万キロを飛んでいる。ウィーン時間で夜中の3時頃だ。私の時計はモスクワ時間で朝の5時を示している。

昨夜は一晩中明るくて、座席の横の窓を閉じて寝なければならなかった。今も外は明るいまんまだ。夜と昼は地球の回転によって起きるのだという事がよく分かった。

乱気流が多発しており、ガタガタ揺れる。心配になる程だ。

5時半、新潟上空に来た。東京まで30分という放送があった。

モスクワ時間で6時に成田に着いた。東京時間で11時だった。

ここは日本語と日本文化の世界だ。物事をすんなり理解できるのが不思議でもあり、ありがたかった。

懐かしい湿気があった。ともかく日本に帰る事が出来たのだ。

しかし、道はまだ遠い。横浜の兄の家に行き、それから伊豆の下田へと行き、田中さんに預けていたチャーリーを引き取り、車を運転して新潟まで行き、フェリーで小樽まで(1泊)、小樽からまた車を運転して下川まで帰る。

1週間はかかるであろう。体力が持つかどうか心配だ。

空港内からイミグレを通って外に出るまではなんとなく不安で、そのためか心臓の調子も良くない。疲れを感じた。気分は最悪だ。

しかし、何のトラブルもなく入国でき、ホッとした。こういう時、いつもあっけなく感じるのは私だけか?

横浜に電話すると母が出た。3時に家に行くと、外美さんはハワイに行っており、兄は赴任先の小山に行っていて母一人だった。

母が遅い昼食を用意してくれていた。寿司を腹いっぱい食べた。親というものはありがたい。

その後昼寝した。目が覚めると夜7時半ごろだった。気分は悪かったが、それでも少しは眠れた。起きてしばらくたつと、だいぶ気分は楽になってきた。

母が用意してくれた熱いみそ汁と、納豆と玉子とご飯の夕食が美味い。長期(2ヶ月)の外国暮らしのせいか、肉やしつこい料理よりも、この方が嬉しかった。

風呂で体を洗ってから、10時に寝た。

hungary56


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