自転車旅行(スペイン・ポルトガル編)1-3

1990年3月10日
明け方と冷え込みで目が覚めたが、いつの間にかまた眠ってしまい、目が覚めたのは10時近かった。ハムの残りとパンで朝食をすまし出発。

昼前トレドに着いた。トレドよりN403に入る。周囲には家も何もない。なだらかな丘が続き、登りでは歩いて自転車を押す事が度々で汗が流れた。

夕方、川にさしかかったので川原に下りてキャンプ。途中のトリホスの部落のバル(バー)でカフェ・コンレッチェ(2杯で100ペセタ=150円)を飲んだ時に、水を詰めてもらってきたので、やっと熱いコーヒーを沸かすことが出来た。

クッキングには空色にぬられたブタンガスのコンロ(携帯用コンロ)を使用している。インターナショナル・キャンピングガスという標識で、ヨーロッパはおろか日本、アメリカ、全世界で同じ規格のガスボンベ、コンロを買うことが出来るので非常に便利なものである。

日本ではボンベが1個340円から400円もするが、スペインでは同一のものが120ペセタ(180円)で買える。
米を炊いたり、煮物、味噌汁などを作ったりと当たり前に使用すれば1日しかもたないが、僕らは1週間持たしている。使い方にコツがある。

バルブを全開にして使用しない。スパゲティなどは4分でOKというような短時間で茹でられるタイプを使用する。2、3分茹でたら火を止めて余熱で茹で上げる。野菜や肉は火の通りを良くするために細かく切って料理すると省エネになる。

もっとも僕らはボンベのスペアもなく、たきぎも手に入らぬ晩には、コーヒー、ブイヨンのスープを作るだけで食事はパンと缶詰位ですましている。食事の中に熱いコーヒー、又はスープがあるだけでも随分気分が良いものだ。

フツーの時は一週間でボンベ2本は使う。薪が手に入る場合は、もちろん焚き火で料理する。慣れれば焚き火で料理するのが一番楽しいし、美味い料理を作る事が出来る。さて、遅い朝食をすませたら出発だ。

昼頃オリャーリャという小さな町に着く。

小さな公園に水道があるのを見つけ、飛びつく。喉がカラカラだ。水を腹一杯飲み喉をうるおし、ホコリまみれの顔を洗った。そこでNV―E90に入る。これはマドリッドからメリダを経てセビリヤにいく一級国道である。ちゃんとサイクリング道路も設備されている。

キコキコとカメのように進む僕らの傍らをトラックや乗用車が100キロ以上のスピードで走っている。交通量は北海道並みだから割とのんびりしている。周囲の景色も北海道の富良野に良く似ている。

しかし、丘のうえの集落、城、教会の塔など、そしてコバルトブルーの空、羊と羊飼いの姿などスペインならではの風景で非常に美しい。この地方にも春が来て、雲雀がうたい、野原には一面に黄色い菜の花が咲いている。

まだ自転車を始めたばかりで二人共、足の筋肉が痛む。しかし、風景は実に素晴らしく、国道を外れて小さな村や町へ自転車で買い物に行くと、そこには飾り気のないスペイン人の生活があり、人々の控え目な親切さに触れたりして苦痛を忘れてしまうのだ。

バスや汽車の中から、ただ遠ざかっていく風景を見ているのと違って、自転車の旅はその風景の中に自分から入っていけるのである。そして、テントも食料も積んで走っているのだから、何処へ行こうが何処に泊まろうが思いのままでとても自由である。

僕らはこうした旅が好きで、汽車やバスを利用しての中国、インドの旅は少々物足りなかった位だ。歩いたり、馬で旅したかったのだが事情がそれを許してくれなかった。ヨーロッパを自転車で旅することに決めたのは単に経済的な問題もあったが、むしろもっとアクティブな旅がしたかったからである。

夕方、タラベラの町に近づいた。地図の位置に河があったが、周辺の両側には高い塀が張り巡らされており、そこの河原でキャンプしようという当初の計画はオジャンになった。あてもなくそのまま走り続け、国道の周囲を注意深く見ながらキャンプ地を物色した。

少し行くとフェンスが切れ、工事現場らしい大きな凹地があった。その凹地の片隅にテントを張りキャンプの準備、時計を見ると夕方7時頃だった。

この辺りでは7時半になると暗くなる。暗くなる前に急いで夕食を済ました。オイルサーディンの缶詰、生の玉葱とチーズのサンドイッチ、オニオンとマカロニの熱いスープ、それにデザートはスペインのとても甘くて美味しいオレンジ(1個10円位)というメニューであった。

寝る前に空を見るとなにやら怪しい空模様だった。

いやに暖かい感じで、長年の野外生活のカンによれば、それは、とても悪い印だった。遠くの方の地平線に落雷してるらしく、あちこちで稲光がピカピカひかっていた。まるで空襲のように見えた。

暫くすると雷鳴が聞こえてきた。風も強くなってテントが鳴った。雷雨が来た場合、我々のキャンプ地は水はけが悪く、おまけにフライシートもない(毎日町に着くたびに探しているがまだ手に入らないでいる)ときているので厄介な事になりそうだ。

コースがそれてくれる事を祈ったが、それはむなしかった。テントをたたんで安全な場所へ逃げるには遅かった。にわかに物凄い突風と雨を伴って雷が襲ってきた。すぐ近くに高い鉄塔があったので、雷が我々の上に落ちてくる事はないと判断した。それがなかったら、僕はどんなことをしてもそこからもっと安全な所へ逃げていたと思う。

気が付くとテントの周囲は雷光の嵐で、妻は僕にしがみついたままで、我々は生きた心地がしなかった。

驚いた事に、マドリッドで買った四手網みたいな形のテントはほとんど雨漏りもせず持ちこたえ、床下からの浸水も殆どなかった。まるで大砲の玉の落下地点でキャンプしているようなものだった。

どの位経っただろうか、雨はこやみとなり雷鳴は遠ざかっていた。どうやら二人共ヘソを取られずにすんだらしかった。

cycle1-3

(2へつづく)

本作は季刊エッセイ雑誌「生活と意見」第1号(冬)1994 に掲載されていたものを加筆、修正したものです。


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