自転車旅行(スペイン・ポルトガル編)3-7

1990年3月29日 ギブラレオン

ゆっくり起きて、川の水を沸かして、コーヒーを飲んだ。朝食の後、テントの前でヒゲを剃る。ついでに顔もシャボンで良く洗い、泥棒や山賊と間違えられぬように、身なりも綺麗にした。あまり汚い恰好をしていると、イミグレーションでトラブることになる。

いざ出発するとなると、もう一度あの町に行って、スケッチしたくなった。何か気を引く町であった。

町の中を自転車でウロウロして、絵の題材を物色。広場に自転車を止めて、目の前のバルでコーヒーを飲んだ。人々は珍しい東洋人に目を丸くしているが、しかし親切である。バルのマスターは人の良さそうな老人で、ティント(赤ワイン)をチビチビ飲みながら、テレビを見ていた。水筒(1.5リットル入り)3本にも、喜んで水を詰めてくれた。(もちろん無料)

バルを出て少し行くと、軒の低い白壁の家屋と狭い石畳の、これぞウエルバ地方という一角があった。

一軒の家の前には、馬がつながれていた。馬にはサドルがつけられている。なかなかいい感じなので、自転車を止めて、自転車の後ろの荷台に画帳を乗せて、さっそくスケッチした。途中で家の中から男が出て来て、馬に乗り、行ってしまった。しかし、動くものから先に描くように常に心がけているので、もう馬は描き上げ周りの家に取り掛かっている時であったので、どうという事はない。男が出てきた時、僕の筆は馬に乗ろうとする男の姿を描くことに集中された。道路や家は、描いている途中で動いたり、どこかへ行ってしまうという事はないから、最後に描けば良いのだ。

すぐ横の酒場から、この様子を見ていた男が、馬の写真のポスターを持ってきて、「これを見て描けよ」と、行ってしまった馬の代りに、壁に張ってくれた。スペイン帽子をかぶった伊達男が、立派な馬にまたがった写真。どうも馬術大会のポスターらしい。妻はさっそく、それを描き始めた。酒場から男達が出て来て、僕らのスケッチを眺めている。

一時間位で描き終えてから、その酒場が気になってしかたなかったので中に入った。店の名は「エル・ランチョ」。入口の横には、カウンターがあり、牧童あがりらしい頑丈でしたたかそうな老人が、マスターであった。

彼の後ろには、100リットル入りの大きな黒い樽が積んであった。壁は真っ白な漆喰が塗り込められ、高い天井には丸太をそのまま使ったタル木がむき出しになっていて、壁にあつらえられた大きな暖炉と、黒い鉄製の馬具等がこの店に素晴らしいムードを与えていた。「エル・ランチョ」の名はぴったりだ。

店は奥の方が広く、奥でワインを作っているようだった。何人かの男達が、テーブルを前に小さなイスにかけて、ビアンコを飲んでいた。この店には、セルベッサの他にビアンコしかなかった。ほとんどの客は、この店の黒い樽の中身であるところのビアンコ(白ワイン)を飲んでいるのであった。

もちろん僕らもビアンコを注文した。小さなグラスに、とろりとした芳醇な香りのワインが注がれ、牧童あがりの太く逞しい老人の腕が、それを我々の方に突き出した。そいつを受け取って、グッとひと息に飲む。地球が一瞬回転を止めたかと思う。素晴らしくうまい。

問われないままに、片言のスペイン語で「自転車でマドリッドから来た。今日でもう3週間だよ。毎日キャンプしてるんだ」と言うと、男たちは目を丸くして「ホー」とうなっている。マスターの老人は外に出て、店の傍らに止めてある我々の自転車と装備をしげしげと見ていた。

そのうち、樽の横にギターが置いてあるのを見つけて、マスターに「弾きたい」と言うと、「ダメだよ」と言いながら、貸してくれた。なるほど、第5弦が切れ、おまけにギターの胴の尻には、大きな穴が空いている。しかしこの程度なら、テクニックでカバーして曲は弾けるものだ。チューニングして、「ウエルバのファンダンゴ」を弾き始めると、男たちは大騒ぎである。

「ヨーシ!」と言って、さっきポスターを持って来てくれた男が、「ファンダンゴ」を唄い始めた。僕は、ギターで彼をフォローした。フラメンコは、この土地では今も唄われているが、フラメンコ・ギターの弾ける男はめったにいない。だから、飛び入りの東洋人がフラメンコ・ギターを弾き、唄の伴奏もこなすので、彼等はびっくりしたが唄の好きな彼等は大喜びである。

若い男、老人が次々と立ち上がって、手を大きく広げ、首を前へ突き出し、情熱的に唄った。みんな上手だった。「ファルーカ」を弾くと、誰かが合せて踊った。これはもともと、男性の舞踏曲なのである。

僕は学生時代に、フラメンコ・ギターを習い覚えたが、日本で学んだ曲(伊藤ひでお氏の編曲)は正確で、スペインに来て、彼等の踊りの伴奏や唄の伴奏は、少し慣れるとすぐ出来るようになった。彼等の、天性の唄や踊りのうまさには感心する。日本で習ったフラメンコの曲は正確ではあったが、そのフィーリング、ノリ、テンポ、そしてソウルまでは、現場でないと把握できないと知った。

フラメンコは、ライブでないとダメだと思う。酒場のフロアで男と女が踊り、唄い、他の連中が手を叩き、飲んでムードが良い時、そのような中でギターを弾かねばウソである。ソロギターだけでは、ちょっと寂しい。女を口説くには良かろうが、酒場では役に立たない。観光客の集る店でなく、僕はあくまでもこうした小さな「エル・ランチョ」のような店で聴く、そして唄われ、踊られ、かき鳴らされるギターの音が、フラメンコが好きだ。

昼頃と思っていたら、もう4時を回っていた。大分飲んでしまった。マスターに「クワント?」と聞くと、「レナーダ!」と言う答えが返ってきた。「客のおごりだから払わなくてもいい」と言うのだ。皆に「ありがとう」と言って、店を出た。

再び川岸に戻って、木陰にテントを張り、キャンプ。僕は橋の下の所で、川の向こうにそびえる教会の丘と、白い家並がまぶしいような、ギブラレオンの町の姿をスケッチした。

そのあと夕食。ヒジキをコメに混ぜ、(キューブ)スープの素を加えて炊いた。「ヒジキめし」とスープ、それにワインがメニューだった。夜になると野犬の群が横行し、出歩くのは危険で、その吠える声が一晩中うるさくて、そしてまた寒さのため、あまりよく眠れなかった。

cycle3-7 ギブラレオン

(4へつづく)

本作は季刊エッセイ雑誌「生活と意見」第4号(秋)1995 に掲載されていたものを加筆、修正したものです。


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