自転車旅行(スペイン・ポルトガル編)4-7

1990年4月6日

朝になっても雨は止まず、昼頃まで降り続いた。昼頃止んだので、出発の準備をするとまた降り始め、あわててテントの中へ逃げ込んだ。するとまた陽が出て来る。出発の準備にまたとりかかる。また雨が降って来る。こんな事を2、3回くりかえし、出発したのは午後2時すぎだった。

ひどい向い風で難行した。平地でも坂を登るのと変わらない。ペダルを必死でこがないと、押し戻されてしまう。しかも平地という所はなくて、すべて上りと下りばかり。下りでも場所によっては、ペダルをこがねばならなかった。

ラゴスを過ぎて、山の中の国道脇の空地にテントを張ってキャンプ。夕暮れがせまっていた。

雨がまたポツポツ降り始め、あわてて荒天準備をすませた。屋根の上にフライシートを張り、雨を防ぐのだ。熱いスープ、ジャガイモとオイルサーディンのソテー、パンで夕食をすませた。

いつの間にか雨が止んだ。誰かがテントの近くに来た。ポルトガル人の青年が山菜をとっていた。「ヤア!」と言うと、向こうも「ヤア!」と言って笑った。少し話をしていると「ここは雨が降ると水びたしになるし寒いから、オレの家へ来い」と言ってくれた。親切はありがたかったが、もう夕食はすませたしあとは寝るだけ、またテントをたたんで移動するのもめんどうだから断った。

ホセ(青年の名)は家に帰ったが、少しすると兄貴と二人でやって来て「家に泊まれ」と言った。どうもこちらの言葉が通じていないらしかった。無碍に断るのもどうかというので、行くことにした。テントを手早くたたみ、シュラフをまるめて荷をまとめ、ホセの家に一緒に行った。

ホセの家は、家というよりはただの納屋だった。さらに驚いたのは、電気もなく、灯りといえば小屋の中のたき火の灯りだけ。たき火を囲んで、ホセの家族が夕食をとっていた。まるでインドの田舎の生活と同じだ。夕食もたき火で料理していた。子供が2人、それに犬、女が3人とホセを含めて男が3人だった。皆、貧しい身なりをしていた。

ホセの一家はジプシーであった。家具といえば、炊事用のナベ、カマ、食器の他は夜具ぐらいしかなかった。イス、テーブル、タンスなどはなかった。でも、かれらは親切で明るかった。大皿に山盛りのチキンの肉の入ったスパゲティーとパンを、お母さんがナベからよそってくれた。「もう夕飯はすんだ」といっても通じない。言葉は通じないが、ハーモニカと笛をカバンから取り出して吹くと、皆よろこんだ。

それにしても、彼らと一般のポルトガル人との生活のレベルの格差には驚くばかりだった。子供は裸足のままだ。ジプシーの中には悪いのもいると聞いているので、このまま夜中に身ぐるみはがされるのではないかという不安が、頭から離れない。でも、彼らはそのようには見えなかった。

夕食の後、ホセの父親と娘婿の二人は、オート三輪車をバタバタ鳴らして、町のバルに酒を飲みに出かけた。家族の者は別の部屋(ベッドルーム)に行って寝てしまった。

ホセと若い妻と僕らは、しばらくたき火を前に片言のスペイン語で話をした。30分位したら、ホセ達も寝るために、自分の部屋に行ってしまった。僕達も疲れていたので、炊事部屋の横の部屋で寝た。もちろんベッドはない。石の床の上に、彼らのテント用の大きなシートを広げてくれ「そこで寝ろ」とホセが言っていたので、その上にマットレスとスリーピングバッグを敷いて潜り込んだ。

屋根の破れた所から、月のあかりが差し込んでいた。彼らの住まいは、廃屋をそのまま使っているとしか思えなかった。ここの大家はフランス人で、ホセたちはここの農場にやとわれていると言っていた。仕事が無くなれば、彼らは次の仕事を求めて旅に出るのだ。ジプシーは気楽なように見えるが、彼らの置かれている生活条件は、厳しいものだという事がよく理解できた。

夜中に二人が町から帰って来たが、すぐに静かになったところをみると、そのまま眠ったようだ。一晩中犬の吠え声がやかましくて(5匹くらい)、僕はあまり眠れなかった。

cycle4-7 BARの客-ポルトガルの男


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