自転車旅行(スペイン・ポルトガル編)6-3

1990年5月8日(晴れ)

目覚ましの音で起きた。

ラーメンで朝食。これは細いスパゲティと、固形のスープを利用して作る。5分で出来るから便利だ。何もなくても工夫すれば何とかなるものである。

7時半に映画会社の事務所に行った。ドアは閉まっており、誰もいない。別に腹も立たない。スペインもポルトガルもけっこういい加減な所だから、全てが時間通り進んだら、逆におかしいと不安になる。そのようなところを、この1年半ずっと旅してきたから、こちらもビクともしなくなっている。9時半にならないと事務所が開かないと言うので、近くのバルで時間をつぶす。

9時半にオフィスに行くと、スタッフが来たので、来た理由を英語で話すと分かったらしく、ミスター・ゼマリアは(彼は人集めの責任者)シネマ・エデンにいるからそこへ行けば会えるとの話で、オフィスの前からタクシーに飛び乗った。

タクシーの基本料金は120円くらい。シネマ・エデンに行くまで、ラビリンスの中を登ったり下ったりしながら、タクシーはジェットコースターのように走った。10分くらいで着いた。料金230円を払ってタクシーを降りた。日本の半分以下の値段だ。

ミスター・ゼマリアは、背の高い細身の青年だった。「1日3000円、昼飯付という条件だがそれでいいか」「夜の9時頃までかかるかも知れないけど」と言う。泣きたくなる条件だが、貧乏人の悲しさでOKした。それと、撮影がどういう風に行われているのか、大いに興味もあったし、昼飯の中身が気になったというのも、1日3000円の仕事を引き受ける気を起こさせた理由でもある。

撮影には、シネマ・エデンを丸ごと借り切って使用していた。5階建てくらいの大きな劇場である。撮影はドイツの映画会社で、ウイリアム・S・ハートが主演のアクター。

映画の内容は「世界が10年後に滅びる」というもの。これは、エキストラの中国人大学生が教えてくれた。エキストラは50人以上。それぞれが、世界中の色々な国の人間に扮していた。東洋人は、中国人3人、マカオ1人、日本人2人だった。日本人は、リスボン大学の女子留学生だったが、お互いに日本人だとは思えず、初めは英語で話をしていたくらいだ。

セットはモスクワの大きなホテルで、ホテルの看板からテーブルの上の皿の裏の文字まで、すべてロシア文字で書かれており、バルの中にはロシアの兵隊から将校、バーテン、水兵、民間人、道ばたには花売り、マリオネット師もいたし、売店もあった。急にモスクワの一角に来てしまったようなものだ。
そして僕は、チャイナ服(黒色)を着た中国人として、その中に紛れ込んでいた。彼女は綺麗なチャイナドレス。中国人の学生は、ソフトに眼鏡、トレンチコート片手にスーツケースを下げた、日本人旅行者に扮していた。よく見ると、トルコ人やアフリカ人もいた。

ランチは、フライドライスの上にタラの天ぷら(フライ)がゴロゴロとのせてあり、他にパンと熱いスープとオレンジが付いていて、大きなランチボックス(紙製)に詰めてあって、弁当屋(仕出屋)が撮影現場へ運んでくるのは、日本とよく似ている。

ウイリアム・S・ハートは、午後遅く来て、2、3シーンを撮った。その間、こちらは通行人の役をやらされた。金を貰って、家に帰ったのは9時半頃だった。ポルトガルで金を稼ぐのは楽じゃない。

cycle6-3

(7へつづく)

本作は季刊エッセイ雑誌「生活と意見」第7号(春)1997 に掲載されていたものを加筆、修正したものです。


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