続・自転車旅行(スペイン・ポルトガル編)3-2

1990年7月16日

バカンスシーズンでオランダ、北欧、独、英国、仏、スイスなどの国から、ポルトガル、スペインへヨーロッパ人がなだれ込んでいる。

ここモンサントのキャンプ場もとても賑やかになった。プールサイドではトップレスの美女が肌を焼いて目を楽しませてくれる。冷たい水の中にドボンと飛び込めば気分爽快。

フランス生まれのベトナム人チョウが旅から戻ってきて、僕らの横にテントを張った。再会を祝して一緒に晩飯。酒を飲んだ。

チョウは真面目。人生、芸術、自然、宇宙などについて話した。彼は仏、英語を喋る。ベトナム語は駄目だと言った。「僕は木と話をする。木は色々なことを教えてくれるよ。僕が耳を傾ければね…」と彼は話し始める。彼は詩人なのだと思った。本職は工業デザイナー。彼はもっとアーティスティックなデザイン、仕事をやりたいと言っていた。働きすぎて疲れたので、仕事を辞め旅に出た。特に彼のような職業には、充電期間が必要だ。9月にパリに戻り、また働くのだと言う。

「人生には冒険も必要だよ。守りばかりだとアンニュイだ」と僕が言うと、「そうだな、僕もパリにいた頃は、とてもキャンプ場で寝られるような人間じゃなかった。今の生活は僕には冒険なんだ。子供の時、友人に『自転車に乗れるか?』と言われて『そんなもの乗れるさ』と、乗れもしないのに自転車に乗った。もちろん転んだ。自転車が勝手に走り出した時、とても恐ろしかった。冒険だった。でもその時、恐れる必要もないものを怖がるのは愚かな事と知ったよ」と彼は語った。

チョウは教養の深い男だった。ロシア文学もアメリカ文学も、その他の国の文学もたいてい読んでいた。僕が欧米の文学を読んでいるのを知って、彼は驚いた。何故日本人がフランスの民謡やシャンソンをそんなによく知っているのか、ラディゲやマラルメやランボーやボードレールをも読んでいるのか、彼は訝っていた。「大抵のフランス人は、自分の国の事しか知らないよ」と彼は言う。「日本人は昔から好奇心が強いのさ。島国だから外の世界が余計気にかかるのだ」と僕は答えておいた。

チョウの晩飯は、キャンピングガスで炊いたご飯にカツオのフレーク(缶詰)をドンと乗っけて、その上からニョクマムをぶっかけただけというシンプルなものだった。小さな鍋がそのまま食器代わりだ。

彼のテントは、このモンサントでは一番小さなものだ。荷物も非常に少ない。ここに、彼の思想が現れていた。彼は仏教的な人生観の中に生きていた。背が高く痩せている。この巨大な都市のようなキャンプ場で、東洋人は我々三人だけだ。彼も、僕らと一緒にいるとリラックスするみたいだった。

「ベトナム人も魚が好きなのか?」と質問すると、「知らないのか、魚はベトナムではとてもポピュラーで、魚なしの食事は考えられないのだ」と言う。そして、我々日本人の食事が醤油抜きで考えられぬのと同様、ニョクマム無しでは食事が出来ないということだ。ご飯に生卵をかけて食べてると、ベトナムでも全く同じ食べ方をすると言うので驚いた。生卵を食べる民族は、そうザラには地球上にいないと思ってたからだ。

日本人のルーツはどこか?北であり、南であり、西であると僕は考える。東には広大な太平洋があるから、東はルーツでないだろう。いろいろな民族が日本に流れ込み、島という特殊な環境の中で固有の民族を作り上げたのだ、そう確信している。それが、アジアを広く旅して得た僕の印象である。

ネパールの山奥には囲炉裏があり、雁木もあった。チベット人は1、2、3、4、5をジック、ニー、サン、スー、グと発音する。チベットとダージリンの国境の方に行くと、日本の家屋と全く同じものがあるという。

そして、本当かどうかわからぬが、その辺りの山奥にはしっぽのある人間が住んでいるという事を聞いた。これは、なかなか興味をそそる話である。

cycleNext3-2


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