中国・シルクロードの旅 12-1

china12-11989年6月7日

午後6:55分、成都行の汽車が昆明のプラットホームを離れた。私達が乗っているのは2等の寝台車だ。本当は昨日の夜行で北京へ行く予定だったが、北京で生じた大事件のために不可能となったのである。

旅していると色々な事にぶつかるものだ。北京の情勢が不穏であるとは広州で旅行者から聞いてはいたが、解放軍と学生が天安門でぶつかり、軍が発砲したために死者が7千人とも2万人とも言うのだ。

夜、駅に行って北京行きの汽車を待っていたのだが、どうも様子がおかしいので駅員に訊ねたところ「北京行は不通、明日9:30分に駅へ来られたし」というような事で、ガッカリしてるところに、たまたま来合わせた日本語を話せる次清(シェンシン)とう名前の医科大の先生が、北京で発生した大事件の事を教えてくれた。

この人は中国で2年間日本語を学んだという事だが非常に上手だったので、そしてまた彼が日本に興味を持っていたので、ホテルの部屋で夜遅くまで中国の事や日本の事、色々と話は尽きなかった。彼は給料が月に100元だと笑っていた。彼に会わなければ、次の日にホテルで日本人の旅行者達に会うまで我々は何も知らないでいたと思う。(天安門事件、6月6日発生)

しかし、デモ隊に軍隊が発砲し大量の人間が死んだという事は世界中にもの凄いショックを与えているに違いないのだが、政府が報道規制をしている為テレビにも新聞にも全く発表されず、世界中の人間が知っている事を中国にいる我々が全く知らないでいたというのはショックだった。

正確な情報は、日本人旅行者が小型の短波ラジオでBBCや日本や米軍のニュースをキャッチして得たものであったというのは皮肉である。私のはAMラジオだから役に立たないのだ。その国の民族音楽等を聴くために持ち歩いてるのだが、こうした時には役に立たない。

北京は我々が広州に入った頃、すでに戒厳令下にあったという事であるが、それすらも我々は知りえなかった。それすら知らずに北京へパキスタンのビザを取りに出発しようとしていたのだが、体の調子が悪く、昆明からの出発が延び延びになっていたのである。出発するのがもっと早かったら、我々は何も知らずに北京に行っていた事だろう。その方が大変な経験をすることになったに違いないが、また危険も生じたに違いなかった。

どっちにしても、このような状態では北京でビザを取るのは問題外だろう。しばらく情報を見る事にして、取り敢えず我々は成都に向かって出発したのだ。

駅は大混乱の状態で、とても切符をキャンセルして成都行の2等寝台車の切符を手に入れるのは望みの無いことだった。しかし地獄の沙汰もなんとやら。駅の構内にはダフ屋がたむろしているので、彼らに頼めば欲しい切符が当日でも手に入れる事ができるし、中国旅行社よりもずっと安くしかも早い。昨日、私の為に北京行きの2等寝台のチケットを手に入れてくれたダフ屋を見つけて事情を話すと、彼は成都行の当日券(寝台券付)と交換してくれたし差額も払ってくれた。彼がいなかったら、こんなに早く成都にハードスリーパーで行く事はできなかったに違いない。

闇ドル屋やダフ屋の存在は非合法だが、我々のような旅行社にとっては実にありがたい。但し彼らとの付き合いに慣れてない旅行者はボラれるし、騙されるのが落ちだ。彼らも相手をよく見ているのである。


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