中国・シルクロードの旅 12-2

china12-2中国が自由に旅行できるようになった(もちろん開放都市に限られるが)5年前、いち早く中国を旅した旅行者の話では、街は整然としており乞食も目立たず、昼間からブラブラしている若者も殆ど見なかったという事で、この5年の間に著しく変化したようだ。

町の中で目立つのは超近代的な高層ビルディングで、そのほとんどは外人ツーリストや高級幹部の為のホテルなのだ。そして、その谷間には古いレンガ造りの人民の家がひしめきあい、黒い瓦屋根を連ね、汚れた道路には子供の乞食が倒れていたり横たわって眠りこけていたりするのを見る。

人民公社は有名無実となり、そこからはじき出された人々は都市に流出し、何の当てもなく日々を不安のうちに送っている。

貧富の差は考えられない程酷い。テレビのスイッチを捻ると冷蔵庫、テレビ、車、オートバイ、洗濯機などのCMの洪水だが、こんなものを買える人間はほんの一部の人々だ。

若き日の毛沢東の精神はもはや過去の遺物でしかないのだろうか?

汽車に乗るとそれが図式的に現れる。我々が乗ってるのは30両編成の汽車だが、1等のスリーパーは白いシーツのフカフカのベッドで、室内は至れり尽くせりで、これには人民政府の上級幹部クラスの中国人と外国人ツーリストが乗っており、我々の乗ってる2等のスリーパーは硬いベッドだが、洗いたてのさっぱりしたタオルシーツが用意されており、室内もまあまあで中国人の金持ちクラスの人たちが乗っている。そして残りの20両以上の車両は硬座と呼ばれるもので、指定席のと自由席の三等車である。

私は3等の無座(自由席)で2泊3日の旅をしたが、ゴミ溜めの中にいるような感じがした。そこに乗っている人々は中国の庶民であり大部分であったが、その中には帰京する学生や中学校の教師なども混じっていた。彼らの日本への関心は大きく、また我々に対しても親切であった。

成都へ出発する日の昼に、いつも行っていた近くのラーメン屋で四川省流の激辛ラーメンを食べた。ここのオヤジは親切な人で、包子を奢ってくれた。北京の事件の事は知っていて、死者は7000人で鄧小平は悪い奴だと言っていた。

新聞やテレビには報道されなくても、北京から6000kmも離れた昆明の人々は昨日の事件を知っていた。電柱に小さな張り紙があり、その周囲に人々が群がってそれを読んでいる。

それには北京の事件の事が書かれていた。おそらく学生やアジテーターが張ったものだろう。壁新聞である。ニュースは口コミで恐ろしい程の速さで中国全土に広がっているに違いない。

若い女性の間にタイツが流行ってるが、長い間格好の悪いダブダブの服を着せられていた事への反動とも思えるし、そこに一つの華やかさと自由を感じているのだろう。

この国では、大きなジレンマを人々の間に感じる。テレビから流れこんでくる(アメリカや日本、ヨーロッパなどの)自由世界の空気は彼らをジレンマの底へ落とし込んでゆく。豊かな華やかな生活、自由な人生への憧れは我々よりもっともっと強いに違いない。上海や北京へ、若者たちがそうしたものを求めて流入しているのが目立つ。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

Current day month ye@r *