中国・シルクロードの旅 15

china151989年6月24日 成都にて

昨日、駅に切符を買いに行ったが何か事故があったらしく、ウルムチ行きの汽車の切符は手に入らなかった。

今日もホテルからバスで駅に行って、ブラックマーケットにあたってみる。駅の周辺にはダフ屋がいてすぐ寄ってくるのだが、どうやら28日まで駄目なようなので、再びバスに乗ってホテルに帰る。

僕は昨日から熱があって、調子が悪い。切符が手に入り、出発できるのは1週間先になりそうだ。フミちゃんが治ってすっかり元気になったので、出発しようと思えばこのザマだ。

成都に着いたのは6月8日だった。以来ずっと濱江(ピンコー)ホテルに泊まっている。1週間くらい前からネパール人のジックミー君が一緒だ。来た時、彼は非常に具合が悪くて困っていたので、大学病院へ連れて行った。

病院は閉まっていたが、「日本人の旅行者だ」と紙に書いて(我日本人、我有胃疼)係員に渡すと急患扱いで非常勤の医師が見てくれた。ネパール人だと言っても中国では分からせるのが大変だし、軽く見られるし、時間も無いので日本人という事にしたのだ。そうでもしなければ「明天来々」で終わっただろう。

若い医師は有能な人で英語を上手に話したので、英語とチベット語とネパール語を話せるジックミー君にしてみればラッキーだった。どうも、胃ではなくてすい臓か胆嚢が悪いらしい。痛みと熱が続くようならまた明日来るようにと言って、1週間分の薬をもらってホテルに帰った。この時病院に支払った金額は7.8元(300円)くらいだった。

というような事で、僕らの3人部屋は哀れな病人の寄り集まりとなった。

ジックミー君も体が弱っていて中国食を受け付けないので、市場でフルーツ、パン、ゆで卵、チャーシュー。野菜(トマト、キュウリ、ピーマン。玉ねぎ)を買ってきてサラダを作って3人で一緒に食事した。

3、4日経つと、薬と食事療法が功を奏してジックミー君はだいぶ元気になってきた。

ジックミー君の父はチベットの大地主だったらしい。彼の話によれば、ある日紅衛兵がやって来て上流階級であった父の一族は殺され、父はネパールのムスタングに逃れ、現在はカトマンズで商売をしているということだ。彼は祖国チベットへ行く途中である。

現在ツーリストはチベットには入国できないが、彼はチベット語を自由に喋れるので、チベット人に化ければチベットに入ることは可能だ。彼はラサの友人からの電話を待ってるが、なかなかコンタクトできないので困っている。

中国内での長距離電話は、局に申し込んでから相手と通話できるのに2~3時間はかかる。おまけに、相手から電話がかかってきても別の部屋の電話に繋がってしまったり、自分の部屋の電話が故障していたりという事はこちらのホテルではよくあることで、実際我々の部屋の電話は壊れていて、ラサからの電話が別の部屋にかかってその部屋に入らしてもらって、やっと相手と電話することが出来たのである。

こうして見ると、日本という国はつくづく便利な住みやすい国だと思う。

ジックミー君は元気になったが、相手とのコンタクが上手くとれずホテルに1週間も釘付けになってイライラしているが、感情をあまり表面に出さない。彼はダージリンで教養を受け、その後デリーの大学に行って、卒業してから東南アジアやインドへビジネスに行ってるという。今度も多分ビジネスで旅行してるようだ。


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