中国・シルクロードの旅 21-1

china21-11989年7月12日

シンアルタイの部落に来て2日目である。

ふらりとやって来た日本人に人々は目を丸くしている。深い山の中のちっぽけな部落、まともな旅行者はこんな不便な所でバスを降りたりしない。

僕らがサリム湖で泊まった旅社は漢人の経営で、汚らしかったので、トシさんが教えてくれた湖の外れのウイグルの招待所へ行く事にして、道路にリュックとギターを置いてバスをヒッチしたのである。しかし場所を間違えて、ここで降ろされたのだ。

時間は昼少し前だった。ホテルには誰も居ない。目の前にモスリムの小さなレストランがあったので、取り敢えずそこで飯でも食うことにした。

中に入ってくと、黒っぽいハンチングをかぶったカザフの若者や大人が酒を飲んだり料理を食べたりして話をしていた。ちょっとの間話が途切れ、彼らは鋭い目つきで球にやってきた見知らぬ旅人を見守っていた。

僕らは埃まみれのリュックとギターを部屋の片隅に下ろし、トマトと羊肉の入ったスイトンのスープとナンとバター茶を注文した。50絡みのしっかりとしたおかみさんが、竈の火を起こして素早く作ってくれた。

彼女もスペインのジプシーと全く同じ顔立ち、同じ服装をしていた。客の中にモンゴル人や回族が混じってなかったら、僕はスペインのジプシーの部落にいると思ったに違いない。

レストランの内部も壁は漆喰で白く塗り込められ、低い天井は太い丸太の垂木と荒削りの板で作られ、床はレンガを敷き詰めてあり、がっしりした木のテーブルと簡単な木のベンチが置かれ、台所の天井から羊肉の塊がドーンとぶら下がっている。大きな竈は泥で作られている。これらの様式はアラビア的であり、スペイン的であった。

料理が出来る間、熱い茶をすすってヤクシミセス(こんにちは)とか、オレはヤポンルック(日本人)だとか、片言のウイグル語で彼らと話したり言葉を教えてもらった。

精悍な顔立ちのアンソニー・クイン氏は、黒いハンチングの下から険しい目付きで我々をにらめつけ、新聞紙で器用にタバコを巻き、口にくわえ、胸のポケットからマッチ箱を取り出し火を付け、プカプカ吸い始めた。

みんなが僕のギターを見て、ギターを弾いてくれというゼスチャーをするので、皮のケースからギターを取り出し、ハーモニカをフミちゃんに持ってもらってハーモニカを口で吹き、同時にギターで伴奏しながらバラが咲いたバラが咲いた~とやりだすと、みんなはやんやの大騒ぎ。アンソニー・クイン氏はびっくりして口をぽかんと開けたままだ。タバコは床に落ちて煙をすーと上げている。

彼はニヤリと笑い、用事があるらしく手を振ってから店の外に繋いである馬にひらりと乗り、走り去った。

そのうち、料理がテーブルに運ばれてきたので食事にかかる。水団のスープは熱くて美味しかった。ナンをちぎってスープに浸して食べた。この辺りのナンは天然酵母を使用してオーブンで焼く。ナンと言うよりはパンである。僕はこんな美味しいパンを食べたのはヨーロッパの旅以来だ。フミちゃんも感激していた。

みんなにスケッチブックを見せると、「お前は絵がうまい。俺の顔を描いてくれ」と言う人も出てきて大変だった。

食事を終えてから、レストランの裏を流れる谷川へ行ってシャンプーで髪を洗った。谷川の反対側の斜面には遊牧民のテント(パオ)があり、男達が馬に乗って川を渡りパオへ帰ってゆく姿が見えた。パオの周囲には羊や馬が放たれ、子供たちはパオの周囲を走り回って遊んでいる。男達は草むらの上に車座に座って食事をしている。

今だにこのような生活を続けている人々がいる。カザフ族との出会いは感激に満ちたものだった。

周囲の風景はスイスや南オーストリーのアルプス地帯とそっくりで、非常に美しい。山の斜面で草を食んでいる羊の首につけられた鈴の音がここまで聞こえてくる。

ここには、おおらかさと静けさが満ちていた。

空は青く天気は上々。河原に腰を下ろし、二人でスケッチをした。フミちゃんの方が絵になっていて、僕のはイラストである。でもこうゆう題材の中で絵を描くのは非常に楽しい。漢族のエリアでは全く描く気になれなかったが、ここでは時間さえあればもっともっと描きたい気分だ。


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