中国・シルクロードの旅 21-2

china21-2風景はスイスアルプスに引けを取らぬ美しさだ。しかしイリ地方を旅する旅行者は非常に少ない。一般に知られてない事、飛行機や汽車で来れない事、交通が不便で宿泊設備がロクに無い事、公安の許可が必要な事(我々はモグリだが今のところトラブルはない)などが原因と思われる。

僕らが泊まっている宿は部落にあるたった一軒の宿で、お世辞にもきれいとは言えない。1泊3元(120円)。知らない人だったら牛舎かなんかと間違えそうだ。

トイレは外、それも100mも先にある村の共同トイレだ。これがまた凄い。夜なんか、トイレに行く途中寝ている牛にぶつかったり穴ぼこに落ちたり、モー大変である。

宿に水道はない。やっぱり100m先の谷川へ行って顔を洗うという訳だ。

ここから先へ行くにはバスやトラックをヒッチするしかないが、なかなか停まってくれない。ここへ来るにもサリム湖からバスをなんとかつかまえて来たのである。

僕らの泊まっている宿の窓は街道に面している。この街道はかつて、東は敦煌、西はローマに通じる重要な通商路であり、マルコ・ポーロもここを通って行ったのだ。

しかし15世紀に入るとイスタンブールがオスマントルコの支配下に置かれ、通商は非常に困難となり、加えてバスコ・ダ・ガマがインド洋航路を発見し海路による通商が有利となった為、この陸の通商路は砂漠の中に忘れ去られてしまったのである。

ここに着いたばかりの時はこの街道が天山北路としての長い歴史を秘めているとは、とても自分には信じられなかった。しかしこうしてロウソクの灯の下でペンを走らせながら、時々窓の外を通り過ぎるカザフ人の乗る馬のいななきや蹄のパカポコという音を聞いていると、何百年前、あるいはそれよりずっと昔の世界の中で生活しているようなイリュージョンにとらわれる。そしてこの街道がまぎれもなくシルクロードであった事を今は感じる事が出来る。

かつては東洋と西洋の文明の命脈であり様々な文物が往来した栄光のシルクロードも、今はどこにでもあるありふれた田舎道でしかない。道はうねりながら峠に続き、その上にはどこまでも青い空があった。

シルクロードの名付け親は、ドイツの地理学者リヒトホーフェンである。彼は甘粛省やシンジャン地方を探検してる時にかつての通商路と考えられる街道を発見して、昔、絹を運んだ道である事からこの道をサイデンシュトラーセンと命名した。この英訳がSILK-ROADであり、長い間忘れ去られてきたこの街道が再び世界の注目を浴びる事となった。

しかし、それからまだ100年ぐらいしか経ってはいない。

あのスウェン・ヘディンはこのリヒトホーフェンの弟子であった人である。当時ロシアの探検家プルジェワルスキーと師リヒトホーフェンの間でロプノールを巡る論争が巻き起こり、ヘディンはその真偽を確かめるべく、幻の湖ロプノールを求めて中央アジアの探検に出発(1893年)する。僕はヘディンの探検記が好きで昔から繰り返し読んでいる。

2回目の探検で彼はかつてロプノールの畔に栄えた楼蘭の遺跡を発見する。そして彼はタリム河を探検しながら、ロプノールが周期的に移動する”さまよえる湖”ではないかと考える。そしてそれが正しかった事を、彼は生きている間に自分の目で認める事が出来たのである。

僕はヘディンという人はラッキーな人だなと思う。北極探検のスコットなんかは、彼とは対照的で気の毒になってしまう。
19世紀の前半までシルクロードは探検の場であったが、交通の発達した今では旅行者でも行ける場所である。

 

旅はつづく


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