やっぱしエエな、旅は 1

1 サリム湖岸の食堂中国、シルクロードからインドへ、そしてスペインと旅は続く。ここはその途中。

予定は1年間、そして予算は一人50万円…いったいどんな旅になるのか僕にも分らない。でも自由になりたいな、と思ったから出発。やっぱしエエな、旅に出るってのは、ハハハ…

天山北路を行く旅人の馬が、宿の裏庭の柱につながれている。また、そこには荷物をいっぱい積んだ、古めかしいキャラバンのトラック求めてあるのだった。僕の泊まっている部屋の窓は街道に面している。

この街道がシルクロードの天山北路としての長い歴史を秘めているとは、とても信じられなかった。実に寂れた感じなのだ。

こうしてロウソクの灯の下でペンを走らせながら、時々窓の外を通り過ぎるカザフ族の男達が乗る馬の蹄のパカポコという音を聞いていると、何百年も前、或いはそれよりずっと昔の世界の中で生活している様なイリュージョンにとらわれる。そして、この街道が紛れもなくシルクロードであった事を、今は感じる事が出来る。

天山北路は、トンホワン(敦煌)から僕が今旅しているイリ地方を経て、広大なロシアを通ってローマに達する古代の通商路であった。東洋と西洋の文明の命脈であり、様々な文物が往来した。

しかし15世紀に入り、イスタンブールがオスマントルコの支配下に置かれるようになると、東西の通商が困難となった。更に1498年にバスコ・ダ・ガマがインド洋航路を発見、海路による通商が陸路よりも有利である事が認められ、シルクロードはいつしか砂漠の中に忘れられてしまったのである。

20世紀の前半までのシルクロードは、探検の場所であった。しかし今では、僕らでも行ける場所となったのだ。

ところが、イリ地方を旅する者は非常に少ない。飛行機や汽車で来る事が出来ないのと、許可が必要だし、泊まる設備が無い事が原因だと思われる。僕の泊まっている宿は村にあるたった一軒の宿屋で、お世辞にもキレイとは言えない。

1泊3元(120円)。知らない人だったら、牛舎かなんかと間違えそうな所なのだ。トイレは外、それも100メートルも先にある村の共同トイレだ。夜なんか、トイレに行く途中寝ている牛にぶつかったり、穴ぼこに落ちたり大変なのである。

水道は無い。やっぱり100メートル先の谷川へ行って顔を洗う、と言う訳なのだ。

ここから先へ行くにはバスやトラックをヒッチするしかないが、なかなか止まってはくれない。ここへ来るにも、サリム湖からバスをヒッチで捕まえて来たのである。

村には発電機が1台あり、夜になると少しの間電灯は灯るものの、いつも故障していて滅多に灯りを見せないので、普通はロウソクやランプの灯が使用されていた。

この村は、サリム湖からイーニンへ行く峠を越えて10キロくらい下った、シンアルタイと呼ばれる所にある。村と言うよりは、昔から宿場である。

街道に沿って、30軒くらいの泥や煉瓦でつくった家があるだけで、谷間の牧草地には、遊牧民のパオや回族の蜂飼いの白いテントが目立った。

僕はこの村に滞在する期間、スケッチブックと水彩絵の具を持って彼らを訪ねた。

カメラで撮ろうとする彼らも警戒するが、少し離れた所に腰を下ろしてスケッチしていると
「何をやっているのかな?」
と、彼らの方から近づいてくる。

そして絵を見て
「ありゃ?これはスイカ?で、これはオラのパオ(移動式住居)でねえか、アッハハハ」
と、屈託なく笑って
「オメエは絵が上手い。オラんとこでメシ食ってけや」
というような事になる場合も時々あった。

そういう時は遠慮しないで彼らの招待を受けることにしているが、とんでもないものを食べさせられたり、飲まされることも覚悟しなければならない。


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