やっぱしエエな、旅は 9

91989年7月24日

宿舎の廊下を歩く足音や、他の客の話声で目が覚めた。外はまだ真っ暗である。貴重品を詰めたデイパックを抱えて外へ出る。

バスの運転手はエンジンをかけるのに悪戦苦闘している。その間に乗客は全員バスに乗り込んだ。やっとの事でエンジンがかかり、バスは未明の砂漠の中を出発した。

道端にハミクワを売る人達がテントの下にベッドを持ち込んで寝ているのが印象的だった。彼らは、スイカやハミクワを道端に山と積んで、その傍らで寝泊まりしている。全部売れるまで村へは帰れないらしい。砂漠地帯は夜明けは冷える。ジャンバーは着込んでいるが、それでも寒い。

このバスのサスペンションはトラック並で、どんな小さなショックでも確実に捉えてくれる。走行中に窓の留め金のビスが抜けて取れたし、車だけじゃなく、こっちの方もどうにかなりそうだ。

中国の道路は非常に悪い。一応アスファルトであっても、穴ぼこだらけでラフロードと大差はない。屋根に積んである荷物が途中で落ちないかと心配である。

10時頃、コルラの近くの砂漠の中の、レストランと旅社だけの宿場に到着。

「タマック!タマック!(飯だ、飯だ)」
と乗客が教えてくれた。

外人は僕ら日本人が2人とトルコのOL(この人は北京大学の留学を終えて放送局で働いている女性で、最初は白人と間違えた)の3人だけ。後はほとんどウイグル族と回族だ。

バスの止まった前にムスリムのレストランがあって、客で混んでいた。

ピラフの上に羊の肉がゴロンと乗ったジュアファンを始めて見る。美味しそうだが、毎日走りづめで胃の調子が悪くて諦めた。

お茶を飲みたかったが食事を頼まないとお茶は出してもらえないようなので、ハミクワを食べた。

バスへ戻ると、さっきの食堂の前で人だかりがあって何か揉めている。乗客も半分くらい戻って来ないし、バスは動く様子もない。

そのうち公安がオートバイでやって来て、騒ぎはますますひどくなった。バスの乗客の間で何かあったらしく、何人かが、すぐ横にある公安の事務所に連れて行かれた。その取調べに1時間以上も待たされた。

運転手は諦めたように煙草をふかしている。彼にしてみれば、しばしの休憩なのだ。

トルコのOL嬢が英語で教えてくれて初めて分かったが、僕の後ろに座っていたおばさんが、あの食堂で500USドル盗まれたのである。中国人にしてみれば、1年分の給料に相当する大金である。

なぜ彼女がそんな大金を、しかもドルで持っていたのか不思議だったが、結局犯人は分からず仕舞いで、金は戻らなかった。


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