旅の記録 パキスタン編 4-2

pak4-2次の日の朝6時にバスは出発、天山南路を南に向かった。

行く手にはタクラマカン砂漠が広がっていた。右手にはあの西遊記に出てくる火炎山にそっくりの赤い岩山が連なり、立ち昇る陽炎に揺れて蜃気楼のように見えた。

バスはオンボロで、運転席の助手側のドアは壊れ、針金で縛ってあった。国境まで2泊3日、400km以上の旅だ。

国境はヒマラヤ山脈のクンジュラフ峠で標高4500m、その峰の左右は標高7000mから8000mの名も知らぬ雪山が峨々として連なり、真っ白に輝いていた。あまりの崇高なその美しさに、私もフミコも息を飲んだ。

しかし、パキスタン入国の為に必要なビザを北京で取れぬまま来たので、国境で追い返されるのではないかという不安があった。

バスの乗客のほとんどはパキスタン人で日本人は私とフミコだけであり、あとは数人の若い白人バックパッカー、中国人は運転手と助手、それに役人らしい2人連れの4人だけだった。

天安門事件の影響で観光客は皆無だ。そういえばクチャにもイーニンにもカシュガルにも観光客の姿はなかった。中国内でいつ内乱が勃発するか分からぬ状況で、私達の旅もパキスタンへの逃避行という性格に変わっていた。観光客など来るわけがない。

昼頃に途中の部落の食堂で食事した。一杯なので、探すと裏路地に小さな食堂があった。だいぶ待たされ、食事を終えてバスの所に行くとバスはもう走り始めていた。乗客たちが運転手に止めろと騒ぎ立ててくれたのでバスは停まった。私とフミコは走ってバスに飛び乗り、ホッと胸を撫で下ろした。乗客たちは「間に合ってよかったね」と言い、握手してくれた。

旅は道連れ世は情けである。

バスが走り始めて間もなく、一人のタジク人の女性客が「金が無い、あの食堂で盗られた」と騒ぎ始めた。500ドルという大金で大騒ぎになり、結局バスはさっきの食堂まで引き返した。

間もなくサイドカーに乗ったポリスがやって来た。乗客も全員調べられた。あの時、私とフミコは別の食堂にいたので調べられることはなかった。

500ドルはこの地では給料1年分以上で、一生かかっても稼げない人が大多数という大金である。もし犯人が見つかれば、この国では死刑だ。乗客や住人達が大騒ぎするのは当然である。

結局1時間以上待たされ、バスは出発した。しかし犯人は見つからず、金も出て来なかった。件のタジク人の女性はがっくりしていた。

女性は商人のようであった。多分、北京辺りで商売して儲けた金であったのではないかと思った。ウイグル人やタジク人の中には、北京で商売する者もいると聞く。

ここで生産されるのは羊とヤク牛くらいで、ほとんどの人は貧しい。

不毛の大地を走り続け、夕刻にタシクルガンの町に着いた。


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