旅の記録 パキスタン編 8

pak81989年8月9日

ギルギットを経てフンザに昼過ぎ到着した。氷河が村の上まで来ている。

ヒマラヤの峰々が目の前にある。ここは標高が2000m以上あり、牧歌的でスイスのアルプス地方のような所だ。キサール・インに宿を取る。

私はこの地に留まって毎日絵を描いてる間に、「風の谷のナウシカ」のナウシカの小王国にイメージがぴったり重なっている事に気付き驚いた。アンズの実がたわわに実り、甘くかぐわしいアンズの香りに村は包まれていた。正にこの世の桃源郷を思わせた。

やはりここにも観光客の姿は無く、若いバックパッカーと登山家、冒険家が宿の客であった。

ここののみ水は銀色をしていた。陽にかざすと輝いて見えた。村の人達の話では「水に雲母が混ざっているからで、この水は不老長寿の水である」という事だ。

スケッチブックを持って村の中を毎日歩き回った。

石を積んで囲った塀の中には、豆やジャガイモ、青葉が栽培されていた。水はやはり石ころを積んで作った水路によって、グレイシャーの雪解け水が畑の中に引き入れられていた。ここで作物を作るのは骨の折れる事に違いなく、人々は勤勉で真面目な感じがした。

どこに行っても子供が沢山いて、遊んでいてすぐに私達は友達になった。

この村は世界の長寿村としても知られ、100歳以上の老人が沢山いたし、元気で畑仕事を続けている者さえいるのには驚かされた。

しかし宿ではノミに悩まされ、標高が高いせいか二人とも体調が悪かった。

そこで、ここでの滞在を1週間で切り上げてもう少し下の方にあるギルギットに行った。その町はナンガバルバットやK・2への登山隊の基地にもなっていた。宿も清潔で快適、食事も良く、私達はそこでの滞在を始めてすぐに健康を取り戻す事が出来た。

この辺りの人々の服装や顔立ち、体つきは昔に行ったアフガニスタンと同じであり、驚いた。

私はその町でアフガン帽とアフガンチョッキを買った。これらはすべてウールで作られていて通気性と保温性があった。

町の中に登山隊の残していった登山靴や山の道具、シュラフを専門に売っている店があり、何度か行った。その店でシュラフと登山靴を買った。隊員が置いて行った日本の小説本などもあった。

ここは歴史的にも非常に古い土地であり、サンクチュアリであった。幾多の旅人がこの道を往来した事か…。この道はクンジュラフ峠を越え天山南路へ通じ、かつては三蔵法師もアレクサンダーもこの道を旅したのだ。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>

Current day month ye@r *