旅の記録 印度編 6-1

india6-11989年11月9日

スリナガルの旅からダラムサラに戻って来ると、周囲の山々はすっかり雪で白くなっていた。いつの間にか冬になっていた。

10月29日のデワリ祭の夜、僕らは家の出口の所にロウソクを何本も灯し、爆竹を鳴らしてインド歴の新年を祝った。隣に住むMr.ドグラは、いつものようにカナクギ流のインド英語でジョークを連発しながら近所の子供らと一緒に花火に興じていた。

キャロリンとモトが僕らの新しい家にやって来て居候していた。

町中が花火の音と煙で戦争でも始まったみたいで、普段街中をのさばり歩いてる犬や猿はオロオロと狼狽えていた。

デワリ祭が終わるとダラムサラに冬が来て、居候も去った。

坊主のモトはマクロードガンジのホテルでキャッシュとトラベラーズチェックを盗まれてしまい、キャロリンに1000Rs借りて手続きの為にデリーへ去った。今頃はブッダガヤの寺に居るだろう。

キャロリンはモトと別れた後、近くに住むホフマン氏の家にステイしてまだトレッキング(マナリーの方面)から帰って来ない。

ホフマン氏は大変な親日家で、日本の古い文化や歴史に詳しく、仏像のコレクターで仏門という新聞をアメリカで発行している人物である。彼はもちろん日本文化の研究をしたルース・ベネディクトやフェノロサ、ラフカディオ・ハーンなども知っていたし、西行、芭蕉、特にZENについてよく研究していた。彼は「正法眼蔵」も読んだ事があるようで、その話もした。

日本の古文、雨月物語や十六夜日記の内容を英語で話すのは大変だったが、彼はよく理解したようだった。しかし、日本人の目から日本の事を聞く事は彼には面白いらしかった。

ラフカディオ・カーン(小泉八雲の事)の小説やエッセイを読んでみると、彼が日本の文化をよく理解していた事が分かると僕が言うと、彼は嬉しそうだった。ルース・ベネディクトが敵国日本の文化にケチをつけ、曲がった見解を示した事についても彼は知っていた。彼女の「菊と刀」はあまりにも有名だが、内容は間違いが多い。

平安から鎌倉時代、さらに江戸から明治時代にかけての日本の文化には僕も興味をそそられた。彼と話しているうちに勉強してみたくなった。


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