旅の記録 印度編 10-1

india10-11989年11月15日

前の夜に作った饅頭と、町で買ったビスケット、サモーサ、水筒をリュックに詰め込んで朝9時ごろ、二人で出発した。名前は知らないけれど、西北に高い山があり、以前から登りたいと思っていたのだ。

地図とかは無いので、望遠鏡で何日も山を観察しルートを頭の中に叩き込んだ。その山はヒマラヤのジャンダルムで、そのコースは家から歩いて15時間もかかった。

山の斜面にある自分たちの家から、テクテク歩いて15分くらいで谷間に下りた。大きな岩の間を縫って、綺麗に澄んだ水がどうどうと流れている。

人がやっと通れるほど狭い橋を渡って登りにかかる。途中で2頭の雄山羊がファイティングしてるのを見て、カメラのシャッターを切った。

山のてっぺんの方には、泥と石で作った軒の低いマウンテンピープルの家が何軒か固まっていた。フンザのものと非常に(ほとんど)よく似ている。もっとも、フンザは山道をトレッキングして行けるほど近い。

この辺の男たちは特別な帽子をかぶっており、体格は小柄で、女達はパンジャブドレスを着ている。

山の風景はネパール、信州によく似ていて親しみを覚えた。

山の頂上にはヒンドゥーのテンプルがあり、一人の老サドゥーが住んでいる。我々が着いた時、彼はお祈りをしていた。我々はお堂の中に入り、サドゥーがタブラを叩いて経文を唱うのを静かに聞いた。

それらが済むとサドゥーは子供のように笑って、「お茶を作ってしんぜよう」と言ってくれたが時間が無いので断り、この間晩飯を食べさせてもらった礼を言い、下から持って来た大根、野菜、胡麻、タバコをプレゼントし寺を後にした。

尾根づたいに目的の山、ナベマウンテン(鍋に似ているのでそういう名前を勝手につけた)へと向かった。

尾根の左手は我々が良く散歩する谷で、反対側にはチベット寺やマクロードガンジとダラムサラの街並みが山の上の方に見える。右手はスロープの緩い草原で、羊が草を食べ、羊飼いの女がいた。そのまま目を上げるまでもなく、雪のヒマラヤが我々の頭上に音を立てて覆いかぶさってくるようだった。

素晴らしい景色に息をのんだ。ほとんどの旅行者はダラムサラに来てダライ・ラマを見て、モモ(餃子)とチョコパイ、チョウチョウを食べ、お土産を買って帰ってしまう。

「こんな素晴らしい場所がある事を教えてやりたいネ」と僕が言うと、フミちゃんは「それで満足なら、それでいいじゃない」と言った。確かに皆が皆、山が好きじゃないと、僕も思った。

旅行者も色々だ。ただ、15年前に比べると旅行者は多くなったし、若いドロップアウターとヒッピーが主流であったのに対し、現在はスクエアな若者、中年、老人が主流で、旅行もワンパターンで機関もせいぜい長くて1ヶ月くらい。そして金持ちで身なりも良い。

それが悪いとは言わぬが、親近感や好感を覚える旅行者が少ないので寂しい。悩める若者は姿を消し、日常をそのままぶら下げて来るスノッブなアンノン族が目立つ。

しかし、一歩観光地を外せばそこには昔と変わらぬインドがちゃんとあるのだ。それは救いである。目を広げ、行動をワンパターンの外側に置けば、新鮮で素晴らしく面白い旅が可能である。そういう旅を僕はしたい。


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