タスマニア旅日記(自転車旅行) 26

au262002年3月20日

クラッカーとチーズの朝食。水がないので残ったビールを飲んで出発。坂道で息が上って困った。今日の目的地は、30km先のキリカンキだ。最後のビール一缶は途中の水分補給用に充てた。

それにしてもひどい風だ。自転車がよろけるなんてもんじゃなく、吹飛ばされそうになった。重装備なので飛ばされずにすんだ。

おまけに道路はラフロードに変った。下り坂で調子に乗って走ってるとエラい目にあう。

途中の道路のわきの空地で休んだ。お茶が沸いたのでさあ飲もうと思ったら、いきなり激しい雨が降ってきた。あわてて藪の中に逃げ込む。藪の中でコーヒーをすすりながら雨やどりとなった。

5分くらいで通り雨はどこかへ行ってくれた。再び、オン・ザ・ロード。

激しい向い風、ギアをシフトしてスーパーローまで下げねば進まない。風を呪いながらジリジリと前進した。途中から道路の両側がブッシュになり風を防いでくれ走行が楽になった。道幅は5mくらいあるがラフロードだ。

カンガルーの死体を5分に一度の割合で見た。烏がつついてるのを一度だけ見た。これだけ死体が多いと、烏も食傷気味のようだ。

私が、ここの自然についてけないのは、あまりにもラフでワイルドで乾燥しているせいなのか、来て間もなく慣れないせいなのかまだわからないでいる。

皆が美しい、ワンダフルと絶賛するビーチ、山、海、それらに対し私は、さ程美しいとも思わぬし、感動もしてない。真白な砂浜にエメラルドの海…だが、私は絵を描きたいとゆう気持になれないでいる。

人々、皆、親切だしあいそも良い。しかしどこか絶縁物のようなものを私は感じて淋しくなる。

『いく山河越えさりゆかば淋しさの果てなむ国ぞ今日も旅行く』と歌人牧水がうたった山河とはまったく違うのだ。私の心に触れる山河とは異なっている。懐かしさがない。そこに、どうにもならぬ孤絶を感じる。

夜空の星、それはすばらしく美しい。月もそうだ。それは北海道の下川で見るものと星座の位置こそ異っても同じものだから、懐かしさを覚えるのだ。

午後の2時過ぎに、ついに海岸の部落キリカンキについた。(店は一軒きりで、食糧品も少し置いてあるだけ。野菜はない。酒はない。)

キャンプ地を探していると、年配のカップルが砂浜から上ってきた。聞いてみると、「ここから200メートルくらいだけど、案内してあげましょう」と主人が先に立った。オーストラリア人だった。あとからついてゆく。

「あすこが店だよ。電話もある。国際電話も出来るよ」と彼が指さした店は、小さくて、看板もないから、フツーの家みたいだった。

道々、話してるうちに彼らがヨットで来てる事がわかった。オーストラリアまでホバートから行った帰りなんだけど、海が時化て、ここに避難してるのだと言う。

キャンプ地はビーチの裏にあり、森が風を防いでくれた。

あとでヨットを見に行った。30フィートのスループ、昔風のウッドゥンボートだ。漁港があると思ったらなく、ヨットは海岸から40メートルくらい沖にアンカーリングしていた。海は波で白く泡立っていた。

この強風下でヨットは杭につながれたあばれ馬のようだった。走錨するか、ロープが切れたらヨットは岸に打ちあげられておしまいだ。彼らも心配でたまらない気持だろう。

夜になっても海からの強風はおさまらず、私のテントもバタバタとうるさかった。こんな風じゃあぶなくてたき火も出来ないので、キャンピングガスを使いテントの中で炊事した。毎度おなじみとなったメニューマカロニ・ベジタブルカレーだ。

ホワイトマークの小さなスーパーにあったタイカレーのペーストを使ってみた。これが辛いのなんのって、砂糖を加え無理やり食べた。他に食べるものはない。

そのあとコーヒーを沸かした。こんな時小型のパーコレーターがあればいいなと思った。インスタントコーヒーをラジオ音楽を聴きながら飲んだ。

ローソクの灯で11時くらいまで日記をつけたり、手紙を書いたりした。

このキャンプ地には水があるけど、地面が硬く冷えた。無理やり眠った。


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