タスマニア旅日記(自転車旅行) 33

au332002年3月28日 晴れ 23℃

エンジンが止ったので目がさめた。まだ夜は明け切らずあかつきの空には星が残っていた。私は防水ジャケットを引っかけ、船室からデッキに出た。

船は止っており、錨をおろすガランガランとゆう音がひびいた。ブリドポートの灯が2km先に見えた。船はここで満潮を待つのだ。

それにしても船長も船員もタフなので私は驚いた。昨日の未明にレディバロンに着いて、荷を下し、そして休むひまもなく荷を積んだ。積み込みは出航寸前の夜9時まで作業が続けられた。

小さな貨物船なのでクレーンを操作したり、フォークリフトの作業まで船員がやる。船長も作業着に着替え、オイルまみれで仕事を続けた。船員と言っても数人だが。

私が船長室へ出航の時間を聞きに行った時は、コーヒーブレイクで一息入れてた。航海士もツナギの作業着姿で
「わしゃつかれたよ」と言って笑った。
「よく働きますね、日本人も脱帽ですよ」と私が言うと
「いや、イースターが始まるからね。仕事を片づけちゃわんとならんのだよ」と船長が言った。イースターはここでは、日本のゴールデンウィーク、「5月の連休」みたいなものである。
「子供と、キャンプにでも行くんですか?」と聞くと、航海士が
「動物園に連れてく約束したよ」と言った。どこの国の親も同じだ。

休む間もなく、夜10時に船は出港した。

港は浅く、下手をするとスタックするので海洋に出るまで操船は大変だ。この船はそのために平底で、操船が自由に出来るように舵輪はなくて、小さなコントロールレバー(大きさはネジまわしくらいしかない)がコクピットの中央と、左舷と右舷のドアのすぐ近くにあるので、スキッパー(操舵手)は操船が楽だ。

船員が水深と、岸までの距離をチェックしスキッパーに大声で伝える。時には水深の関係で岩から数メートルの所をギリギリでぬける。見ていてもハラハラする。

船長がベッドに入れるのは海洋に出てからブリドポートの沖合2kmまでだ。私がデッキに出たら、すでに船長は起きて操船していた。

船長帽はいつもかぶってなくて、ジーンズにスポーツシャツとデッキシューズとゆうスタイルだが、潮気が体中からにじみ出てる老練な船乗り、まさしく海の男だ。60歳くらいか?まったく飾り気もなにもないが柔しい人だった。よけいな事はしゃべらず、だまって海を見ている。そんな感じだ。

航海士はまだ若い感じのする中年の男で、スイス・アンディーナで一緒だったヘルマンさんによく似ていた。船長帽と船員服がきまっていた。長髪を後ろで束ねている。

船員は、これ以上よごれようがないくらいよごれたツナギの若者といつも血の気のない顔になぜか赤いうすい唇の男と酒が体液の80%くらいのタフな老いた船乗りの3人だけだった。

この船は、海洋冒険小説に出てくるもののすべてをそなえているように私には思われた。乗っているのが、楽しくなる船だった。

朝10時に船は河口に入り、中程にある小さな、造船所のドッグに着いた。

「この船もこのドッグで生れたのよ」とサザン・シッピングの女社長(ジュディによく似てる)は言った。
「どうでしたか?フリンダース島は」と聞かれた。私がスケッチブックを見せると、喜んでくれた。

皆に別れを告げ、ブリドポートのキャラバンパークに向った。途中、ベーカリーでアツアツのミートパイを買った。おばさんは私を覚えていた。1個2ドルくらいだ。

キャラバンパークのオフィスの元サーファーの管理人氏も私を覚えていて「どうでした、フリンダース島は。ディド ユーハブ ナイスタイム?」と言った。料金は前よりさらに安くしてくれ2日分でたった10ドル(700円)だった。

「明日から連休で人が来てうるさくなるよ、イースターだ」管理人氏も多忙になる。イースターの間は店は休みになるし、あの郵便馬車も動かなくなる。銀行も休み。車がふえて道は走りにくいうえに危くなる。

私は連休が終るまで、この辺でブラブラしてる事に決めた。スーパーが休みになってしまうので、4日分の食糧とビールを6本買った。ガスボンベはスペアも無いので、パンを多めに買った。

夕方、テントの横でビールを飲みながら、海を眺めた。すぐ前はビーチだ。遠浅なので子供達が水遊びしたり泳いでいる。

連休は民族大移動の期間であるのは日本と同じ、もっとすさまじいような気がする。なんせ、もともと遊牧民族の血を引く民だから、農耕民族の日本人より、もっと気軽に移動するし、引越もする。家も自動車みたいにどんどこ買いかえるのだ。彼らに比したら、日本人はカキみたいに移動しない。会社の転勤で仕方なく移動してる感じだ。

軽トラックや車の後ろに荷車やら、キャラバン、トレーラーハウス、ボートははなはだしいのはセスナ機まで引っ張って、100km/hくらいのスピードで走り回ってる。移動に対する情熱が車を発明し、車社会を作ったのではないかと私は勝手に想像している。

とにかくウエスタン・シビライゼイションは徹底した車文化だ。極限までそれが発達している。日本はまだ発達中で、ほどほどの所でとどまると思う。西洋化と言っても完全に西洋化する事はあり得ないからだ。

この移動民族のテントに対する情熱もすさまじいものがあり、極限にまで発達し、フツーの文化住宅なみの内容だ。「ここまでやるんなら、なにもキャンプする事はないだろう」なんて私なんか思ってしまうが、それは日本人的発想である。

電子レンジから、コーヒーメーカー、皿洗い機まで設えたキャンピングカーを見て「馬鹿じゃなかろか」なんて私は思う。でも、彼らは、それをビーチに引っぱってきて、喜々としているのだ。

スーパーに行くと、彼等が移動民族であると同時に肉食民族である事も一目でわかる。なんせ、フツーのスーパーでは都市は別として魚介類は売ってないか、少しだけ。肉と肉製品、そしてチーズやヨーグルトの類が所せましと並べられてる。肉も様々な部位に分かれて売られておりカッティングの仕方も日本とはかけ離れている。そしてメチャ安い。

肉文化は非常に発達している。魚文化は大した事はない。

最近は医学的知識や健康に対する関心が一般化し、肉食大好きの彼らも、「日本食=ダイエット」のイメージに飛びついている。都市には軒なみ「すしバー」が並んでるし、スーパーではしょう油はもちろん、みそ、海苔、梅干し、冷凍おでん、日本米(日本酒)、豆腐、ふりかけ、のり巻きを作るための簾まで売ってるし、日本製魚の缶詰なども売っており、「すし」「刺身」は大人気で、家庭で作っている人もいる程だ。

会う人、会う人が、「すし」は大好き、「刺身も好きよ」と言われて私は目を白黒させている始末だ。和食文化はヨーロッパよりも浸透していると思う。アメリカにしてもオーストラリアにしても歴史が古くないから異なる食文化が浸透しやすいのかもしれない。

独自の文化に対する拘りは本土(ヨーロッパ)の方が根強い。それでも数年前にウィーンとブダペストに行った時は、「寿司バー」が普及し、安く食べれる日本食堂が出現してるのを見ておどろいた。30年前に私がヨーロッパを旅した時には一つの都会にせいぜい、一軒か二軒のジャパニーズ・レストランがあるにすぎなかった。それも高級レストランで、気楽にしょっちゅう行けるような店ではなかったのだ。

今はポピラーになった。グローバル化とゆうのか、地球規模の人の移動がそれだけ激しくなっているのだ。

シドニーで見たのは、様々な外国の食文化が花開いており、人々が抵抗なく、それを受け入れている事実である。キングス・クロスではイランのケバブ、トルコ料理のテイク・アウェイ、インド、日本韓国、中国、インドネシア、イタリア、などのFOOD店が目立っていた。それらは安く、かつまたその国の人間が作っているので、内容もしっかりしたものだ。

なぜか、アフリカ料理店はない。これはアフリカには料理らしいものがないためだ(南、中央アフリカ)。北アフリカの料理店はある。エジプト、モロッコ、エチオピア料理店だがそれ程普及してない。

はっきり言って、それはオーストラリア人にはなじみにくい味だからである。それとヘルシーイメージからも遠いためではないかと思う。

もっとも、これは都会(シドニー、メルボルン、ホバート、など)の話であって、地方の街では皆無に近い。フィッシュ&チップスが幅をきかせている。人口がある程度以上ないと成り立たないためだ。

私はメルボルンに行ってみたい。ジュディが、古くて(オーストラリアでは)ムードのある街で、外国の料理店も多いと言ってたからだ。彼女がいい街だとゆうのだから、きっとそうだと思う。


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