タスマニア旅日記(自転車旅行) 40

au402002年4月8日 くもり

いよいよタスマニアを去る日が来た。

ジュディーは朝から仕事に行き、ピーターは山に行く準備とビールを仕込む仕事を始めた。

私は午前中にイタリア製のパーコレーターを買いに街へ行った。マイヤーとゆう古いデパートで以前に見つけた。48ドルだが丁度ディスカウントセールの期間でたったの34ドル(2500円)で買えた。ラッキー!

12カップ用、一番大きなサイズだ。日本で買うとかなり高価なものだが、こちらではバカ安く買える。タックスがかかってないためだ。

帰りにアジアン・テイストの店に寄って、ナスのカレーライスをお昼ごはんに食べた。

大、中の皿とごはん茶わんが(小)置いてあり、そのどれかをまず選び、次にカレーの種類を選ぶ。そのあと、ライスにするかヌードルにするのかと店員にきかれた。適当に大きな皿をとり、ナスのカレーを選んだ。ヌードルはやめてライスにした。

でもこれは大失敗だった。ナント!カレーとライスが大盛りの大盛り、誰が食うんだとゆうくらいの量なのである。皿にうず高くのったカレーライスを見て私はうなった。オーストラリアではスモールを注文してちょうど良いとゆう事を忘れていたのだ。

腹がペコペコだったので、オーッとばかりに食べ始めたが、食べても食べても終らない。それでも全部食べてしまった。※けっきょく、その夜、飛行機の中で夕食を食べそこねた。

夕方、ピーターとジュディーが車で私をエアポートまで送ってくれた。2ヶ月もお世話になってしまった。

ホバートのエアポートは旭川空港にそっくりで、乗り降り手続きも簡単なものだ。手をふってピーターとジュディと別れ、夜の7時にタスマニアを離れた。

私のとなりの席はめずらしく日本人だった。日本人の若い女性だった。日本人と直接に話すのは2か月ぶり(電話でフミコと話したのは別として)で、なんか話し方がギクシャクしてるのが自分でもわかった。多分、常に英語にとりかこまれ、話す時も自分の少ないボキャブラリーで表現していたためだろう。

彼女は学生で、シドニーに留学して今年4年目だとゆう。

「こっちに良い仕事があれば残りたいけど、無さそうなので日本に帰ろうかどうしようか迷っているんです」と彼女は率直に言った。
「北海道の江別で生れ、2年すごしたので、時々北海道にも行きました」となつかしそうであった。
「永住権を取っても、仕事がないんじゃ意味ないように思いますし、皿洗いまでして残っても、それじゃ大学で4年間勉強した事が生かせないですものね」と彼女は言った。

オーストラリアは日本よりも仕事が少ないらしい。経済成長率は日本よりも低いわけだし、農業国であるし、実際には白人優先の社会が根底にあるのだろうからいい仕事にありつくチャンスは少ないだろう。

「大学への政府からの予算も年々けずられて、余裕がなくなってるので、留学生はネギを背負ったカモみたいなものですよ」と彼女は言って笑った。それだけの高いお金を払って大学に行っても、就職できないんじゃ本当にカモネギだと私も思う。

海外留学とゆうのも再考すべき時期に来ていると思う。花嫁修業くらいのつもりなら、さして問題もないが、大学を卒業して、条件のよい会社への就職を考えるならやめた方が利口かもしれない。私みたいに社会からドロップアウトしてみたければ話は別であるが。

国際感覚を身につける事も大切であるが若い時期に中途半端に外国で過すとアイデンティティの問題で悩む事になる。それを一生ひきずってゆくかもしれない。

私は日本で生れ育ち、30歳の時に初めて外国に行った。そして外国で暮した。だから、日本人としてのアイデンティティはすでに自己の中で確立されており、アイデンティティーの事では悩まずにすんだ。しかし、骨のずいまで日本人だから、逆に外国には溶けこめないし根を下ろせなかった。なじめないのだ。

外国へゆくのは旅が好きだからである。何年外国に居たって必ず日本に帰って行く、そうゆう人間だ。

一生を外国で暮らすとゆうのはすでにアイデンティティを自己に確立してる人間にとっては無理がある。住めば都とゆうが、それは若い時の話で、60近くなると、住みなれた土地や生れ育った土地が恋しくなる。適応性や順応性がにぶくなるとゆう事も関係しているだろう。

主体的な(会社の命令とかでなくて)移動にはエネルギーが必要だし、精神力も必要である。お金はそれを補うだろうが、それらの条件をすべて満たすものでない。

人がなぜ移動するのか(会社の転勤命令によってではなく)、それは多分に精神的な働きかけによるものだろう。

人の移動が、これ程に激しく、地球規模で行われる現象はこれまでの歴史の中にはなかった(民族の移動や難民を別として)。それは歴史を大きく変える力にもなっている。

冷戦が終り、東と西とゆう構造もしくは共産主義と資本主義とゆう対立は消えた。民族主義が再び台頭し、世界のあちこちで火を吹き始めた。キリスト教と回教の対立とゆうかつての歴史が、異なる形で再び姿を現しはじめている。

世界は動き大きく変りつつある。それらは私に言わせれば「人の移動による所産であり産物」である。

エイズがまたたく間に全世界に広がったのも人の移動によってであった。インターネットは人の移動に新たなエネルギーを注ぎ込んだ。グローバリズムが台頭し、次いで反グローバリズムが巻起っている。

人々は現代病にさいなまれ、孤独や独立感から救い出してくれない既成の宗教から離れ始めている。小さなコミュニティーとしての宗教、いやしとしての宗教が求められそれらを満たす宗教(新興宗教)に走っている。

仏教は日本ではもはや墓守にすぎなくなっている。様々な新興宗教が台頭するのは、仏教に魅力がなくなったからである。お寺はかつてコミュニティーの場であったしいやしの場でもあったし、人々のアイデンティティーのより所でもあったのだが、今は何も無い。

坊さん、僧は在家と変らず(髪の毛はそのままだし、家庭もある)出家とも思えぬような人々が大半で、これでは民衆が尊敬し頼りには出来ない。立派な寺に立派でぜいたくな衣装を身にまとった僧だが中身は何もない。寺も僧も人々を救ってはくれない。死んだ時だけ世話をしてくれる、それもお金次第だ。墓守だ。これでは人々が離れてゆくのは当然だ。

地方ではまだ正常に機能しているお寺を見かける。そうゆう所ではコミュニティーがしっかりしており、人々が集っている。坊さんも頼りにされてる。

飛行機は少し早くシドニーのドメスティック・エアポート(国内空港)に到着した。日本人留学生と別れ、空港からタクシーでレッド・ファン(セントラルレイルウェイステイションの近く)のバックパッカーズ(バックパッカー専門の安いホテル)に行った。

運転手は無口な男だったが正直だった。料金は18ドル、私は20ドル渡し、釣りはチップにとってもらった。(皆は30ドルすると言ってたが)

今日の午前中にピーターにインターネットでシドニーのバックパッカーズをチェックしてもらい、リザーブした。ホテルはクリーブランド通り207にあり、道路の向いがアルフレッド・パークとゆう公園である。その名もALFRED PARK ACCOMODATIONとゆう。非常に古い建物だった。若いバックパッカーにまじって中年のオジさんも泊ってる。

夜の10時頃ホテルに着いた。町はにぎやかだが、ここは周辺に店がなく割と静かだった。

フロントには若いアジア人(中国人?)が居て、テキパキと手続きをしてくれた。部屋の鍵とバスタオルと石鹸をもらって、部屋に行った。チェック・アウトは朝9時、なんとなくユースみたいなムードだ。

共同の食堂とキッチン、シャワールームが中央にある。いつでも自由に使える。

部屋はシングルルーム、広さは6畳くらいか?カラーテレビ、冷蔵庫、しっかりしたデスクとイス、他に丸テーブルとイスが2つ、コーナーには洗面台と鏡がありお湯と水が出る。シングルベッド、照明はデスクに明るい読書用のスタンド、天井に室内用の照明がある。室内はユース的小ぎれいさであり、快適で清潔で、申しぶんない。

一泊60ドルを2晩泊るとゆう事で55ドルにしてもらった。60×70=4200円だから55ドルは4000円弱とゆうところ。

昼間なら私も地下鉄かバスで空港からホテルに行くのだが、ホテルの場所はガラの悪いダウンタウン。そんな所を夜遅くバックパックを肩に宿を探して歩いてればシドニーと言えども危ないにきまっている。だから、夜の移動は公共のタクシーを利用する。白タクはボラれるからやめた方がいい。土地の友達と一緒なら白タクも問題はないが。

ホットシャワーを浴び、汗を流し、着替えるとサッパリした。夜遅いので外出はやめ、本を少し読んでから寝た。


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