タスマニア旅日記(自転車旅行) 41-2

au41-2朝飯のあと一度ホテルにもどって、ホットシャワーを浴びた。そのあと、ラジオのスイッチを入れてオールディーズ専門の局にダイヤルをセットして、古い音楽を聞きながら、日記を書いた。

オランダのアムステルダムでもそんな事をしてホテルですごしたのを思い出した。ホテルは同じだがアムスは2倍する。食べ物も安くない。シドニーの方があたたかいし、物価は安いし、私はすごく気に入ってる。

ショルダーバッグにカメラと英語のディクショナリとスケッチBOOKを放り込んで外出した。ジュディーが教えてくれたフェリーに乗るためだ。

フェリーの出発するサクラキーの地下鉄駅までとりあえず行く事にした。セントラル駅までホテルから歩いて行った。空は青く、ホテルの前の芝生のグリーンが目にしみる。

街の中を歩いてゆくと高いビルの森に着いた。シティだ。チャイナタウンもこの近くにある。

セントラルの地下鉄駅に着き、サクラキーに行く路線ディストリクトを案内板を見て探したがよくわからなかった。コインスタンドでチケットを買うのはあきらめ係員のいる窓口で切符を買った(2ドル5セント)。17番のプラットホームに行きなさいと係員が教えてくれた。

17番のプラットホームで待っていると、すぐに電車が来た。こっちの電車は2階建てなのだ。

サクラキーは3つめの駅だがタウンホール経由でゆかぬと大まわりになってしまうので注意だ。そんな事も地下鉄路線図を見ているうちにわかってきた。

サクラキーの駅のホームで電車をおりたら海が見えた。鉄骨の巨大なハーバーブリッジが弓なりに虹のようにかかっているのも見えた。実に大きな古風な橋だ。絵になるので、早速プラットホームの人のじゃまにならない所でスケッチした。

下の方にフェリー乗場の屋根とフェリーが見え、その先は港公園だ。プラットホームは2階にあるので、ロケーションが良くて、いい絵が出来た。

鉛筆でスケッチして、色はあとでつける事にしてフェリー乗場に行った。写真は参考資料用に何枚か撮った。時計を見ると2時、出航寸前だった。あわてて切符を買いフェリーに乗った。

船はすぐに出航した。行先はマンリィだ。30~40分の航海である。

この船は港をぬけてゆくので、遊らん船の代りになるとジュディーが教えてくれた。だから料金も安い。ツーリストのための船でなく人々の通勤や買物の足なのだ。

デッキに風に吹かれて港見物。大変に気持よかった。

大型のヨットや昔の帆船に何隻も会った。帆を一杯にふくらませて、ヒールしながら目の前をスーイスーイとヨットが滑ってゆく。シドニーはヨットのメッカでもあるのだ。

のどが渇き、おなかもすいたので、船の中の売店でマッフィンとコーラを買って昼食にした。チーズとクラッカーは持ってくるのを忘れた。マッフィンは実に巨大なもので赤んぼの頭くらいもあった。でも控えめな甘さと素朴さがあって日本で売ってるものよりずーとおいしかった。

半分も食べたら、おなかが一杯になったので、残りはショルダーバッグに入れ、カメラを取り出して写真を撮った。

朝夕は通勤の人が多く、日中は観光客が中心のようだ。けっこう人がたくさん乗っており船内はにぎやかだった。

マンディに着くとビーチで人々が泳いでいた。さん橋から海に飛び込んでる若者達もいた。マンションが建ちならび、ヨットハーバーがあり、シドニーのリゾートとゆう感じの所だった。

ビーチの公園の木影のベンチにかけて、ウォークマンを聞きながらスケッチをした。2時間くらい居てから、帰りのフェリーに乗った。

夕焼けの空にシドニーの名物、貝殻みたいなオペラハウスとシティーの高層ビルの林が赤く染まって見えた。

フェリー乗場の片すみにある静かなカフェでブラック(コーヒー)を飲んだ。エスプレッソだから濃くておいしい。ウォークマンでJAZZをききながらゆっくりコーヒーを飲み日記を書き、タバコをくゆらして歩きすぎる人々をぼんやりとみてひと時をすごした。JAZZのカセットの選曲が良いので、いいムードだった。

そのあとフェリー乗場の左手の港公園に歩いて行ってみた。このあたりはザ・ロックスと呼ばれる歴史的な場所で昔の石造りの建物がたくさんあり、ビルの林と対象的だ。主としてアーミー(軍隊)とプリズナー(囚人)の居住地であった。オーストラリア(シドニー)の歴史はここから始まったとされている。

スケッチしたが途中で描いていた船が出港してしまい、他の部分とのバランスが狂ってしまって構図がまとまらず中断した。よくある事だ。写真は先に撮っておいたので、それを参考にして後日に絵をまとめるしかなさそうだ。

スケッチの線は消さずにそのまま残した。あとで重要な意味を持つ場合が多いからだ。

港のはずれのキャンベルコーブ(キャンベル入江)と呼ばれる所に2杯の帆船が停泊していた。一台は有名なキャプテン・ブライのバウンティン号のレプリカだった。スケールダウンされているが見事なものだった。実際に帆走し、クルージング料金を払えば乗組む事が出来る。ナイトクルージング(食事付)が100ドル(7000円)くらいで楽しめる。

海洋民であるオーストラリア人の海とボートへの情熱は大きいものだ。本国イギリスに負けない。シドニー・ホバートレースを見てもそれはよく理解できる。

日本もかつては海洋民族で中国沿海やインドネシアの海が庭みたいなものだった。しかし、徳川時代になって外洋への航海が禁止され、それが300年近くも続くうちに航海技術は失われ、船の構造も進むどころか後退した。

かつて使用されていたコンパスや海図も忘れ去られた。だから航海は目視による沿岸航海しかできないとゆうおそまつさだった。それ故一度時化で沖に流され、陸影が見えなくなると、自分がどこに居るかさえわからなくなってしまう。

そんな頃、ヨーロッパ人達は帆船と航海術を進歩させ、世界の海を探検し、発見につぐ発見を続け、世界をいち早く我物としたのである。

船艦バウンティ号は小説や映画でおなじみのものである。船艦バウンティ号は南洋を航海中に乗組員が反乱を起し、逃走した。船長ブライとブライに味方した者は一台のボートとわずかの食糧を与えられ、海の中に取り残された。漂流が始った。しかしキャプテン・ブライは不屈の意志により生還した。

一方、バウンティ―号を乗っ取ったクリスチャン一党は追手がイギリスからやってくると南の無人島に土民の娘達をつれて逃れ去った。今日、その島にはクリスチャンの子孫が残っていると言われている。

なおこのブライは「パンの木ブライ」とも呼ばれている。彼はパンの木をポリネシアからインドネシアに持って(移植)行った男でもあったのだ。

帰り道、セントラルで降りたが出口をまちがえ見知らぬ場所に出てしまった。もう日は暮れて街はイルミネーションと車のヘッドライトの渦の中にあった。

ストリートの名前を見るとエリザベス・ストリートとあった。これをまっすぐシティと反対の方向に行けば泊っているホテルのあるクリーブランド・ストリートに出る事が地図でわかったのでホッとした。

地下鉄の出口の所の売店でベーコンエッグのサンドイッチとチップスを買った。腹がペコペコだったのでチップスを食べながらウインドショッピングしたりしてホテルまで歩いて帰った。

途中、ボトル・ショップでカスケードビールを2本買った。ホテルに着き、シャワーをあびて、ビールを飲んだらいい気持になった。カスケード・プレミアムうまい!!

サンドイッチとビールで夕食をした。ラジオのスイッチを入れ、オールディーズの音楽を聴いた。昼間のつかれとビールの酔いで10時にbed inした。


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