旅の記録 パキスタン編 16

pak161989年10月13日

町の中は賑やかで、インドの太鼓の音や歌声が溢れ、毎日がお祭りという感じだ。

友達もでき、ラマ寺の図書館で本を読んだり、タシに連れられてラマ寺で行われた大祭を見学した。本当に毎日が素晴らしかった。

ダウンダラムサラの町ではヒンドゥー三大祭の一つであるダシェラーの祭りが10日間も続いた。

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旅の記録 パキスタン編 15

pak151989年10月7日

チベット・ホテルは快適だが宿泊料が高いので、ダウンダラムサラに下りてメインストリートからちょっと入った所の民宿風の小さなホテルに移った。

ここは大きな木がたくさん生えていて、野生のサルの群れが拠点にしていた。夜中に屋根の上を歩き、うるさくて眠れない時もあった。

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旅の記録 パキスタン編 12

pak121989年9月5日

ラホールから国境は近い。

朝ホテルを出て屋台で食事、チャイを飲む。チャイは栄養があり、甘くてパワーが出るミルクティー。パキスタン人は一日に何回も飲んでいる。

英国のミルクティーとは作り方が全く違う。

小鍋に紅茶の葉と少量の水を入れ煮立てる。次にミルクと砂糖をたっぷり加える。泡が盛り上がって鍋からこぼれ落ちる寸前で火からおろす。グラスの上に茶こしをあてがって鍋からチャイをグラスに注ぎいれる。鍋で煮立ってる時にレモングラス、カルダモン、シナモン、ジンジャーを加えてやると香りが良い。

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旅の記録 パキスタン編 11

pak111989年8月30日

暑いのと泥棒宿を除けば、ラホールは面白い街であった。そこで私達はラホールで数日間ブラブラして過ごした。

昼間は街の中にあったマクドナルドで過ごし、涼んだ。昔来た時はそんなものは無かったので、驚いたが助かった。クーラーが効いており、値段は高いが店内もアメリカ風で小奇麗であった。ホストは全てイケメンの兄ちゃんばかり、ホステスは、ここも回教国だからいない。

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旅の記録 パキスタン編 10

pak101989年8月29日 非常に暑い!

朝の8時過ぎにラホール行のバスは出発した。

今度はマイクロバスでなく、大きなバスだ。乗客は全てパキスタン人で、外国人は私とフミコだけであった。

例によってカセットテープレコーダーが最大限のボリュームを上げ、パキスタンの流行歌をガンガン鳴らしていた。鼓膜が今にも破れそうだ。中国からパキスタンに入ってからずっとこんなで、大音量にある程度慣れてしまった。

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旅の記録 パキスタン編 9

pak91989年8月25日

私達がこの土地に旅の荷をほどいて早や10日が過ぎた。私達は山を下り、インドに出発する準備に取り掛かった。

イスラマバードに飛ぶ飛行機があると聞き、町外れの飛行場にチケットを買いに行った。運動場に毛の生えたような飛行場で、小さなオフィスがあった。係員は申し訳なさそうに「さっき最後のチケットが売れてしまった」と言った。飛行機で行くのを諦め、私達はホテルに戻った。

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旅の記録 パキスタン編 7

pak71989年8月8日

起きると朝の光が眩しかった。暑くて死にそうだ。

乗合のマイクロバスがフンザに出発したのは昼頃だった。またあの恐ろしい道を引き返すのかと思うとゾッとした。しかし山道に入るともうそんな事は忘れた。パキスタン人は陽気で親切だった。

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旅の記録 パキスタン編 6

pak61989年8月6日

次の昼前に、彼と一緒に乗合のマイクロバスでインダス渓谷を下ってイスラマバードに向かう。

カラコルムハイウェイとは名ばかりの、断崖絶壁を縫うようにして行く林道だった。下は目も眩む千尋の谷で、山賊(ゲリラ)の出没する怖い道であった。そんな所を夜通し走り続けて、やっと次の日の朝に無事イスラマバードに着いた。

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旅の記録 パキスタン編 5

pak51989年8月5日

私達の他にもビザなし入国者が1人いた。30代のフランス人の写真家であった。彼も入国は出来たものの我々と同じトランジットであった。

3人で話した。彼は何度も撮影に来ており、パキスタンに詳しかった。イスラマバードまで行けばエクステンションオフィス(ビザの延長の手続きをしてくれる)があると教えてくれた。

迷惑を承知で彼についてく事にした。

その夜はスストからスズキのトラックの荷台に乗ってギルギットまで下り、彼と同じホテルに泊まった。

旅の記録 パキスタン編 4-3

pak4-3次の朝早く、再び不毛の大地を走る。高度が増し、ヒマラヤのたおやかな峰々が目の前に迫ってきた。

夢のように青い美しい湖水があった。その周辺は緑で羊やヤク牛が思い思いに草を食んでいた。

しばらく行くと山道に差し掛かった。カーブを曲がった先に1台の大型トラックがひっくり返って道路をふさいでいた。セメント袋が散乱、山をなしていた。

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旅の記録 パキスタン編 3

pak31989年7月24日

砂埃にまみれて夜の10時頃にやっとカシュガルに到着した。

乗客達はどこに行ったか、あっという間にいなくなり、取り残された私とフミコはしばらくの間ポカンとして立っていた。

バスの運転手が教えてくれたすぐ目の前のホテルに泊まる。しかし一晩中うるさくてよく眠れなかった。

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旅の記録 パキスタン編 2

pak21989年7月20日

イーニンから天山南路のクチャに行くバスは朝の光の中を出発した。このルートは天山山脈の山中を行くもので、悪路が多くスリリングだった。

月世界のような所もあった。

クチャに一泊し、ここでカシュガルに行くバスに乗り換えた。クチャからアクスを経てカシュガルに行く天山南路は乾ききった土漠であった。

旅の記録 パキスタン編 1

pak11989年7月12日 シンアルタイ

シンアルタイに滞在して間もなく、ロシア製のパトカーが来て停まり若い公安が我々を訪ねてきた。ここは外国人立ち入り禁止地区だから追い出されるのだろうと思った。

するとその公安はにこやかに笑い「君たちは日本人か?」と聞いたので、そうだと言うと握手を求めてきた。

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